信濃 岩村田城(佐久市)

城址台地上に祀られている藤城神社、右上に城址碑

幕末、築城許可が下り築かれた城

所在地

長野県佐久市岩村田字上の城(岩村田小学校一帯)
岩村田小学校:佐久市岩村田2641-2

形状

平山城(台城)

現状・遺構等

現状:市街地(岩村田小学校、岩村田公園、藤城神社他)
遺構等:曲輪、土塁、石碑、説明板

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2007/10/14

歴史等

武蔵赤沼藩主内藤正友は、元禄16年(1703)8月、領地を佐久郡内に移され、岩村田に陣屋を構えて立藩した。同年10月、 正友は大阪定番に任ぜられ摂津・河内国内に移ったが、正徳元年(1711)、正友の子正敬が再度入封した。その後、 正弼-正興-正国-正縄-正誠と続き明治を迎えた。
正縄は老中水野忠邦の実弟である。有名な佐久鯉は正縄の時に養鯉の隆盛を見たという。
最後の藩主正誠の時、幕府から築城許可が下り、岩村田上の城に城郭建設を計画し、陸奥平藩の軍学者室衛平を招いて、文久3年(1861) から築城を開始、元治元年(1864)に上棟式を行った。
しかし、明治2年(1869)に版籍奉還し、同4年に廃藩置県を迎えた。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より抜粋』

現況・登城記・感想等

岩村田小学校・藤城神社・岩村田公園の一帯が岩村田城址である。
岩村田小学校の向かいがやや高くなっており、岩村田公園(公園内西に招魂社が建っている)と藤城神社になっている。 東側の藤城神社には立派な石碑が建ち、その北側は結構急崖になっていて、高台にあるのがよく分かる。また、 西側の招魂社の鳥居付近には土塁が残り、「上の城」としての説明板が設置されている。
藤城神社と公園の間を分断している道は如何にも堀切を利用したもののように思えたがどうであろうか?
小学校はともかくとして、この藤城神社や岩村田公園辺りは、僅かに当時の面影を偲ぶことが出来る。
(2007/10/14登城して)

ギャラリー

藤城神社
岩村田小学校の向い側はやや高くなっており、東側に藤城神社がある。

石碑
藤城神社には立派な石碑が建ち、 その北側は結構急崖になっていて、高台にあるのがよく分かる。

招魂社の鳥居と両側に土塁
岩村田公園内西の招魂社の鳥居付近には土塁が残り、「上の城」 としての説明板が設置されている。

土塁(上写真右側土塁に続く土塁)

堀切?
藤城神社(写真奥側)と公園 (手前側)の間を分断している道は如何にも堀切を利用したもののように思えたがどうであろうか?

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