信濃 諏訪氏館(茅野市)

館跡の板垣平にたつ石碑

諏訪惣領家の居館、信玄により滅亡後は板垣信方の居館となる

別名

板垣平、板垣城

所在地

長野県茅野市ちの上原

形状

現状・遺構

現状:畑地、雑木林
遺構等:曲輪、石積み、井戸、石碑、説明碑

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2004/04/30

歴史等

諏訪氏館跡は、上原城の大手側、 標高845mの小字板垣平に位置し、面積はおよそ1haである。
室町時代の後期、上原城を拠点とした諏訪惣領家の諏訪信満が文正元年 (1466)頃から、この地に館を構え、上原郷に城下町を形成した。
その後、諏訪氏は信満-政満-頼満-頼隆-頼重の5代70余年にわたって諏訪地方を統治し、上原城下町は諏訪地方の政治・経済・ 文化の中心として栄えた。
しかし、諏訪氏は、頼重の時の天文11年(1543)7月、甲斐の武田信玄に滅ぼされた。
諏訪地方を領有した信玄は、翌年、重臣板垣信方を郡代に任命し、信方はこの館跡に普請と上原城下町の区画割を行ない、天正10年(1582) 3月、武田氏の滅亡まで40年間、この館を中心に上原城下町は諏訪地方最大の町として栄えた。
(現地説明碑より)

現況・登城記・感想等

諏訪氏館は、上原城の山腹の、 今尚地籍名を小字板垣平と呼ばれる平坦地にある。
今では、ほとんどが畑地や雑木林になり、館跡の北西部(上原城跡へと続く車道脇) に「上原城諏訪氏館跡」と彫られた立派な石碑がたっている。
また、館跡の周り一段下には家老屋敷跡や家臣の居城した段郭が残り、一部石積みも見られる。
(2004/04/30訪れて)

ギャラリー

諏訪氏館跡と上原城跡の地図

諏訪氏館跡
館跡一帯は、畑地や雑木林になっている。

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