模擬隅櫓
矢作川の氾濫を避けるために七ヶ国が見える台地に造られた城
別名
挙母城
所在地
愛知県豊田市小坂本町7
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城址公園、豊田市美術館
遺構等:模擬隅櫓、隅櫓台、土塁、空堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/08/26
歴史等
挙母城は金谷城、桜城、七州城の3つを指す。最初に築城されたのが、金谷城(豊田市金谷町)で、延慶年間(1309~11)に地頭の中條景長により築城され、代々中條氏が居城したが、永禄4年(1561)織田信長により落城し中條氏は滅亡した。
慶長9年(1604)、三宅康貞が武蔵瓶尻(みかじり)より1万石で金谷城に入封したが、戦火で荒廃していたため、新たに桜城 (豊田市元城町)に移った。
次いで、寛延2年(1749)に内藤政苗が2万石で上野安中から入封したものの、 桜城拡張建設途上から度重なる矢作川の氾濫に苦しめられ、ついに天明2年(1782)、時の城主の学文(さとふみ)が幕府から築城費を与えられ、童子山へ築城を開始し、天明2年(1782)七州城が完成した。この城は、七ヶ国(三河・尾張・遠江・信濃・美濃・伊勢・近江)が眺望出来るところから「七州城」とも呼ばれた。内藤氏2万石の館として、学分(さとふみ)以降、6代89年続いたが、明治4年に全ての建物が取り壊された。
『参照:現地説明板他』
現況・登城記・感想等
城址というよりも豊田市美術館等の文化施設の片隅に模擬櫓があるといった感じである。模擬櫓はともかく、実存櫓台は切込みハギの布積みの石垣はきれいであるが、本丸跡?に建つ美術館があまりにも立派で霞んでしまう。
駐車場を挟んで反対側に鬱蒼とした森があるが、そこにかなり大がかりな空堀跡と土塁跡らしきものを見つけた。七州城は桜城と較べて小規模であるとのことなので、そこが、城域なのかどうかは分からないが、いずれにしても空堀跡に違いないと思う。そう思うと櫓近辺の城址よりも、こちらの方が興味が湧く。 いつか資料館で調べてみたいものである。
(2006/08/26訪城して)
ギャラリー
駐車場から七州城を
本丸跡に建つ豊田市美術館
又日亭(ゆうじつてい)
寺部領主・渡辺家の城内にあった書院と茶席を移築したものである。渡辺家10代・規綱が又日庵と称していたことから名付けられた。規綱は三河奥殿城主・大給松平乗友の第二子で、実弟は裏千家11代・玄々斎である。
又日亭裏にある櫓台跡?
豊安院殿お手植えの栂の木と模擬櫓
駐車場を挟んで反対側の森の中に空堀跡?
かなり大がかりな空堀跡と土塁跡らしきものを見つけた。七州城は桜城と較べて小規模であるとのことなので、そこが、城域なのかどうかは分からないが、いずれにしても空堀跡に違いないと思う。
空堀横の土塁跡?