復元された門と土塀
大岡裁きで有名な、名奉行・大岡越前守忠相の陣屋
所在地
岡崎市大平町西上野95-2
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:公園
遺構:復元(門、土塀)、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2006/08/28
歴史等
西大平藩陣屋は、「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が三河の領地を治めるために置いた陣屋である。大岡忠相は旗本であったが、
72歳の時に前将軍吉宗の口添えもあり、寛延元年(1748)閏10月1日に三河国・宝飯、渥美、額田の3郡内で4,
080石の領地を加増され、1万石の大名になった。西大平に陣屋が置かれたのは東海道筋にあり、江戸との連絡に便利であること、
三河の領地がもっとも多かったことが考えられる。
しかし、大岡忠相が藩主であったのは、わずか3年間で、宝暦元年(1751)には亡くなっている。2代目は忠宣が継ぎ、
廃藩置県まで7代にわたって大岡家が領地を治めた。
大岡家は、江戸に常在する定府大名で、参勤交代がなかった。家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでおり、陣屋詰めの家臣は、
多い時期でも郡代1人、郡奉行1人、代官2人、手代3人、郷足軽4,5人程度であった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
復元門が建ち、陣屋内もきれいに整備されている。遺構としては、特に何も残っていないが、「大岡裁き」
で有名な大岡越前守忠相の陣屋ということで来てみた。尤も、大岡越前守は来たこともないわけではあるが。
(2006/08/28訪ねて)
ギャラリー
復元門(左:表側から、右:内側から)
庭園
復元門内はきれいに整備された公園になっている。
左の建物は大岡家の信仰のあつかった稲荷社で敷地内にそのまま設置されている。手前には井戸跡があるが、
説明がなくどのようなものか分からない。
右奥にある冠木門
敷地の右奥にも冠木門があったが、説明が全く無く復元門か模擬門かも分からない。