浄福寺の南に造られた築庭に建つ陣屋跡石碑と福島領の碑
刈谷藩土井氏の苛政で一揆が起き、一部村替えで置かれた福島藩の陣屋
所在地
愛知県刈谷市下重原町5丁目(浄福寺の南周辺、重原市民館の西周辺)
浄福寺:重原本町1丁目24-1、電話0566-21-1697
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:宅地他
遺構等:移築陣屋正門(願行寺:刈谷市半城土町乙本郷81、電話0566-21-0192)、石碑、説明板
満足度
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訪城日
2008/06/06
歴史等
刈谷城を中心に2万3千石の領地を支配していた刈谷藩主土井氏は、
西尾城在城時代から財政が窮迫し、
刈谷に替ってからも農民に多くの負担を与えたので、寛政2年(1790)に農民一揆が起こった。
この結果、刈谷藩は、寛政4年(1792)に1万3千石を奥州の福島領・幕府領の一部と村替えの処分を受け、重原村・野田村・
半城土村等18ケ村の村々は福島領となり、以来福島藩は重原村に陣屋を置いて郡代によりこれら三河の飛地を治めた。
『現地(浄福寺横、願行寺)説明板より』
現況・登城記・感想等
重原市民館の前が陣屋跡とのことであるが、浄福寺の南(重原市民館の西)の築庭に陣屋跡の石碑と福島領の碑が立っているだけで、
往時の面影は全くない。
尚、陣屋の正門が、願行寺(刈谷市半城土町乙本郷81、電話0566-21-0192)の山門として移築現存している。
(2008/06/06訪れて)
ギャラリー
陣屋正門
明治4年(1871)の廃藩後、半城土村が買い受け、同7年に移築したものである。