美濃 松ノ木城(海津市)

松ノ木城跡の推定地の一つである御霊神社

豊臣秀吉の家臣徳永寿昌の居城、関ヶ原合戦では東軍に与し高須城を落城

別名

高松城

所在地

岐阜県海津市海津町松木、御霊神社
【アクセス】
蓮台寺の北北東約150mにある御霊神社が城跡推定地の一つとされる?
蓮台寺:海津町松木534、電話0584-53-0938

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 御霊神社一帯?
【遺構等】 土塁?、空堀?

満足度

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訪城日

2014/06/06

歴史等

戦国期には、織田信長に仕えていた吉村兵庫頭・同又吉郎安実が居城していたが、信長没後はその次男である織田信雄に仕えた。しかし信雄が改易されると、吉村氏は徳川氏に従って関東に移った。
天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦後、豊臣秀吉の家臣徳永寿昌が尾張丹羽郡・美濃松木氏島内を与えられ居城とした。
秀吉没後、寿昌は井伊直政の招きによって徳川家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦が起ると、福島正則に属して今尾城主市橋長勝とともに高須城主高木盛兼・福束城主丸毛兼利らの石田三成軍と対峙し、福束城・高須城を攻め落とした。
戦後、寿昌は戦功により2万石を加増され、美濃国多芸・不破・石津、尾張海西4郡に移され5万余石を領し、その後、居城を松ノ木城から高須城へ移した。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版」、「日本城郭大系9」他参照』

現況・登城記・感想等

松ノ木城跡の所在地については諸説あるが、学術的調査が行われておらず、それらの地も推測の域を出ていないそうです。
御霊神社も、その一つのようなので、取り敢えず訪れてみました。
神社の北側には土塁や空堀跡のような地形や南側には池があるにはありますが果たして・・・?
神社の東側は田園風景が広がっており、往時は泥田などに囲まれた城の面影はあるかな?
(2014/06/06訪れて)

ギャラリー

神社北側の土塁と空堀跡?
IMG_9922

神社の南の池(水堀跡?)
神社の南にある池は、水が湧き出ているようで、澄んでいます。
IMG_9924

城の面影が?
神社の東側は田園風景が広がっており、往時は泥田などに囲まれた城の面影はあるかな?
IMG_9925

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