遠江 三岳城(浜松市引佐町)

三岳城本丸跡に立つ城址碑と本丸からの眺望

南朝方井伊氏(彦根藩主井伊氏の祖)の本拠の山城

読み方

みたけじょう

別名

三嶽城

所在地

静岡県浜松市北区引佐町三岳
【アクセス】
国道257号「井伊谷」信号を東へ入り、坂道を道なりに登っていきます。ここから先は道沿いの要所要所に三岳城の案内があるので、それに従って行くと三岳神社へ出ます。三岳神社に広い駐車場が完備されています。

所要時間

三岳神社から本丸と二の丸の分岐点まで約13分、分岐点から本丸まで約4分、分岐点から二の丸東端まで約6分。

形状

山城(標高466.3m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、空堀、枡形門跡、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2014/03/29

歴史等

三岳城は、南北朝時代の延元3年(暦応元年、1338)秋、後醍醐天皇の皇子・宗良親王が再び井伊谷に入り、井伊谷を領地とする井伊道政と共に立て籠もった山城で、井伊氏が築いた諸城の内の本城で、当城を南朝方の遠江における軍事上の拠点とした。
しかし、足利尊氏勢の高師泰・高師冬・高師兼・仁木義長の大軍に攻められ、興国元年(暦応3年、1340)正月に落城し、さらに同年8月24日夜、詰城の大平城も追い落とされて南朝の拠点は失われ、宗良親王は駿河の安倍城に逃げたと推定されている。
その後、戦国時代に元遠江の守護であった美濃の斯波義達が井伊谷に入り、曳馬城の大河内貞綱と井伊氏がこれに与した。
今川氏親は刑部城堀川城に伊達忠宗を入れて前進基地として三岳城を攻めた。そして、永正10年(1513)に掛川城主朝比奈泰以を主力とする今川勢の総攻撃によって落城した。
戦国時代後半の三岳城については明らかではないが、現在見ることのできる城跡の姿は、永禄年間(1558~1570)末期から天正4年(1577)まで続く徳川氏対武田氏の遠江攻防戦の時の姿を留めていると見られる。
『「現地説明板」、「静岡の山城・ベスト50を歩く 加藤理文・中井均著(サンライズ出版刊)」参照』

現況・登城記・感想等

三岳城は、浜松市とはいえ、中心街から20km近くある山奥にあり、しかも、その標高は466.3mもの山の上に築かれています。今では、車で山腹に鎮座する三岳神社まで登って行けますが、はっきり言って「よくぞ、こんな山奥に」というのが第一印象です(苦笑)。尤も、南北朝期に南朝方が籠った城は、何処もそうですがね。
三岳城は、地元では、城址としてというよりもハイキングコースとして人気があり、当日も親子連れのハイカーに出逢いました。
三岳城は大きく分けて、山頂部尾根上の本丸(一の城)と二の丸(二の城)、山腹の出丸(三の城)からなります。
最高所の本丸は周囲に帯曲輪とを設け、西側の尾根筋を二重堀切で断ち切り、それぞれの堀切の外側に土塁が設けられています。
二の丸は本丸よりも低い尾根上にある東西に延びる細長い曲輪で西端部を幅10m近い堀切で断ち切り、その外側に土塁を設けています。
三の丸は、現在、三岳神社が鎮座しており、広いですが、後世にかなり改変されていることでしょう。
(2014/03/29登城して)

ギャラリー

三岳城縄張略図(二の丸跡の説明板より)
IMG_8323

三岳城遠景
三岳城は標高466.3mの主峰を中心に3つから並ぶ峰からなり、城跡はその中央の山(写真やや右)にある。浜松市とはいえ、中心街から20km近くある山奥にあり、今では、車で山腹に鎮座する三岳神社まで登って行けますが、はっきり言って「よくぞ、こんな山奥に」というのが第一印象です(苦笑)。
00三岳城遠景

三岳神社への石段(左写真は石段下から、右写真は石段上から撮ったもの)
石段上の三岳神社まで車で行くことができるのですが、石段下に「↑三岳城址」の案内柱がある上、その脇に3~4台ほど停めることのできる駐車場があったので、私はここから登ってしまいました(汗)。斜度30度ほどもある上、200段以上もの石段は結構疲れました(苦笑)。
01登城口下 01登城口上

三岳神社
石段を登り切った処に三岳神社が鎮座しており、ここには30台以上は停められる駐車場が完備しています。満開の桜が綺麗でした。ここは、三岳城の出丸(三の城)になります。
03三岳神社

登城口
山頂(本丸と二の丸)への登城口は、三岳神社(三の城)の西の方にあり、三岳城跡についての説明板が立っています。
05登城口

登城道
登城道はハイキングコースとして整備されていますが、頂部が近づくにつれて坂道が急になり、結構息が切れます。
IMG_8315 IMG_8319

本丸と二の丸の分岐点(堀切)
三岳神社西側の登城口から歩き始めて13分ほどで、本丸(左側)と二の丸(右側)の分岐点へ出ますが、ここは、堀切跡のようです。
07分岐点

枡形門跡
本丸方面への登り口には枡形門があったようで説明板が立っていますが、どのように枡形になっていたのか分かり辛いです。

09枡形門跡

本丸へ向かう急坂道
枡形門跡から本丸へ向かう道は、かなりの急坂で斜度30度近くあるような感じの道が100m近く続きます。
11急坂

二の曲輪(本丸東下の曲輪)への虎口
急な坂道を登り切ると巨岩が現れます。二の曲輪(本丸東下の曲輪)への天然の虎口です。
13虎口

二の曲輪(本丸東下の曲輪)
岩の脇を通り過ぎると、平坦地へ出ますが、本丸東下に設けられた曲輪で、二の丸の説明板には二の曲輪となってます。
15本丸東曲輪

本丸虎口
本丸虎口は平虎口です。
17本丸虎口

本丸
本丸は平坦ではなく、南側がやや高くなっております。
19本丸

本丸に建てられた城址碑と眺望
本丸南側のやや高くなった部分には城址碑が建てられています。
21本丸石碑

本丸からの眺望① ~太平洋(遠州灘)方面~
本丸からの眺望は素晴らしく、浜松市街は勿論、その向こうには太平洋(遠州灘)まで見渡すことができます。ただ、当日は少し靄がかかっていて、はっきりとは見えなかったのが残念でした。
59本丸からの眺望1

本丸からの眺望② ~浜名湖方面~
また、南西方面には浜名湖も見えます。
59本丸からの眺望2

本丸西側の虎口
本丸西側虎口は平虎口ですが、かなりの急坂です。その脇には石がごろごろ転がっていますが、石垣跡なのかもしれません。
61本丸虎口

帯曲輪
本丸虎口から下りた辺りに、本丸を囲むように、かなり広い帯曲輪が設けられています。
62本丸帯曲輪

大手道?
本丸虎口から、さらに下りて行くと両側にちょっとした石垣が崩れたような道へ出ます。三岳神社から登る道よりも、西尾根のこちらの道の方がしっかりしていて防御が固いような気がします。こちらが大手道かもしれません。げんに、「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」の中では、こちらを大手としています。尤も、縄張りを考えると、東側の道が大手ということになるでしょうがね。
63大手道

堀切
さらに下りて行くと、堀切が現れます。
65本丸堀切

土塁
堀切の外側には土塁が築かれています。
67土塁

さらに堀切と土塁が
上写真土塁の下には、もう一つ堀切と土塁が見えます。ここを下りて行く道が、かなり急なのと時間がなかったので下りて行くのを止めました。ところが、帰ってきてから分かったのですが、この堀切外側土塁には、かな明瞭な石垣が残っていることを知りました。ガクッ(/。ヽ)。
71堀切

二の丸
本丸と二の丸間の分岐点に戻り、二の丸方面へ行くと、すぐ説明板があります。ここから、東へと細長い二の丸が延びていますが、こちらはほとんど整備がされておらず、また遺構等も不明瞭です。
81二の丸

二の丸東端の堀切
分岐点から細長い二の丸跡を5~6分ほど歩いて行くと二の丸東端へ出ます、二の丸東端は堀切で断ち切られています。堀切の外側には、低いながら土塁も設けられています。
85二の丸堀切

二の丸南側の腰曲輪
二の丸の東部分の南側には腰曲輪が設けられています。
87二の丸腰曲輪

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