僅かに残る台場の土塁
幕末、外国船出没に備えて幕府が浜松藩に築造させた台場
所在地
静岡県浜松市南区米津町(国道1号線米津信号の南約100m)
形状
台場
現状・遺構
遺構:土塁、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/06/17
歴史等
幕末に外国船が日本の沿岸に出没したので、これに備える目的で、安政2年(1855)浜松藩主井上河内守正直が幕府の命によって、
武士と付近の農民に築かせた砲台である。
当時、台場は東、西、中の3箇所からなり、砲身約5.5m、重量約2t、口径人頭を入れるに足りる大砲3門を備え、藩主にこれを守らせた。
現存するこの台場は、高さ6m、周囲約72mの円丘をなしている中台場である、築造当時は、高さ27m、前面は全部石積みで突角をなし、
内部の下層は穴蔵、上部に大砲を備えていた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
往時は高さ27mもあったなどとは想像さえ出来ないような、低い小さな丘(土塁)が残るのみである。
土塁に登って、南の遠州灘方面を眺めると、防風林の松林が見えるのが、この台場跡が、海のすぐ傍にあることを思い起こしてくれる。尤も、
この台場跡も防風林として残されてきたようなものであるが・・・。
(2007/06/17訪れて)
ギャラリー
土塁上から遠州灘方面を望む
土塁に登って、
南の遠州灘方面を眺めると、防風林の松林(写真奥)が見えるのが、この台場跡が、海のすぐ傍にあることを思い起こしてくれる。