駿河 小川城(焼津市)

宅地に埋もれた城跡の一画に立つ城址碑と説明板

今川氏の相続争い時に北川殿と竜王丸(今川氏親)が一時身を寄せた屋敷

別名

法永長者屋敷

所在地

静岡県焼津市西小川5丁目

形状

平城(館)

現状・遺構等

現状:住宅地
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2008/02/01

歴史等

焼津市西小川(にしこがわ)3~6丁目は、古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきた。
「法永長者」とは、今川義忠(1436~1476)が急死し、今川氏の相続争いが生じた時に、伊勢新九郎(北条早雲)を介し、 義忠の正妻北川殿と義忠との子竜王丸(後の今川氏親:1473~1526)を保護した人物である。その後、法永の子孫(長谷川氏) は今川の家臣となり、今川氏滅亡後は徳川氏に仕えたと伝えられている。
昭和54年(1979)からの発掘調査により、屋敷の周囲に堀を持つ本格的な中世屋敷跡が見付かった。調査の結果、 屋敷の周囲にも多くの建物跡が広がり、下層部には古墳時代や平安時代の遺構もあることが分かった。現在は遺跡全体を「小川城遺跡」 と呼んでいる。
屋敷の周囲には長大で複雑な堀を巡らしており、単なる屋敷ではなく、戦闘に対する防御機能を備えた城郭的構造になっている。 素掘りの堀は幅が15~16m、深さが1~2.6mある。また、この堀の内側や外側の一部にも、細い堀が巡っていて、 堀の形態が変化していたことを知ることができる。
屋敷内部は、長辺150m、短辺90mで、約13,500㎡の広さがあり、堀(溝)によって3つに区画され、母屋・ 倉庫などの建物が配置されている。屋敷の周囲からも多数の建物跡や、井戸があり、屋敷からは国産の陶器や中国産の輸入陶磁器、 漆器や曲物などの木製の生活用品、刀・釣針・古銭などの金属製品、斎串・呪符・人形・舟形というような呪術資料などが豊富に出土し、 往時の繁栄がしのばれる。これらのことから、当地が物流の拠点としての小河湊を背景に、 室町時代の大井川平野の中心地として賑わっていたことがうかがえる。
この小川城遺跡の出土品は、焼津市歴史民俗資料館に展示・保管されている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

小川城(こがわじょう)は、今川氏の相続争いの時に、北条早雲の斡旋により北川殿と竜王丸が一時身を寄せたと云われる所ということで、 宅地に埋もれ何も無いことは分かってはいたが、一度は来てみたかった。
石碑と説明板のある場所は非常に分かりにくいが、西小川5丁目の区画はそれほど広くはないので、町内で遊歩道を捜したら、すぐ見付かった。
今は、住宅地の中にある遊歩道に石碑と説明板が建つのみであるが、説明板に発掘調査で出てきた遺構の写真や解説が載っている。
(2008/02/01訪れて)

ギャラリー

遊歩道
石碑と説明板のある場所は非常に分かりにくいが、西小川5丁目の区画はそれほど広くはないので、 町内で遊歩道を捜したら、すぐ見付かった。

小川城遺跡予想配置図(現地説明板より)

発掘調査の様子(現地説明板より)


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