上笠田城周囲の堀
多湖大蔵充が築城、その後飯田左衛門尉が居城、信長の北伊勢侵攻で滅亡
所在地
三重県いなべ市員弁町上笠田字城下
国道421号線「員弁警察署東信号」を南西へ200m程進んだ1つ目の信号を過ぎて、約200m程の2本目の路地を右折し、くねくね折れ曲がった道を500m程進んで左折すると、線路手前右手に「城山稲荷大明社」がある。ここが城跡。城跡の南側の道を隔てたところに駐車スペースあり。
形状
平城
現状・遺構等
現状:雑木林(城山稲荷大明社)
遺構等:曲輪、土塁、堀
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/12/03
歴史等
上笠田城(かみかさだじょう)は、建武年間(1334~38)、この地を支配していた多湖大蔵允が築城した。永禄年間(1558~70)頃には飯田左衛門尉が居城していたが、織田信長の北伊勢侵攻によって滅ぼされたという。
尚、上笠田城と下笠田城があったようで、「員弁雑志」には、下笠田城の城主多湖大蔵介実元は、永禄年間、織田信長に服し、その後、天正18年(1590)の小田原の戦いで戦死したと記している。
『日本城郭大系10他より』
現況・登城記・感想等
上笠田城(かみかさだじょう)には城山稲荷大明社が祀られている。寛永年間(1624~44)に設けられた六把野用水によって分断されているが周囲には土塁と堀が残っている。
城山稲荷大明社の祀られた雑木林の中に入って行くと、ほとんど訪れる人もないようで、薄暗くて陰気な感じで気味悪い(苦笑)。
(2010/12/03訪れて)
ギャラリー
城跡全景
城跡は雑木林になっており、その周囲に堀跡が認められる。
入城
雑木林へ左手に空堀(TOP写真)を見ながら入って行くと鳥居が並び、左手前方に土塁が確認できる。右側を寛永年間(1624~44)に設けられた六把野用水が流れている。
六把野用水で分断
さらに奥へ入って行くと、六把野用水は、まるで堀のように深くなり、完全に城跡を分断している。
帯曲輪?
一方、用水と反対(西)側は土塁に挟まれた浅い空堀のようになっているが、帯曲輪の跡?
南側の土塁?
城跡の道を挟んで南側にも土塁のようなのがあったが、これも遺構なのだろうか??