伊勢 梅戸城(いなべ市大安町)

主郭北側土塁上に立つ石碑、その奥が主郭

近江六角氏を祖とする梅戸氏の居城、信長の北伊勢侵攻により滅亡

所在地

三重県いなべ市大安町門前、光蓮寺の裏山
光蓮寺:大安町門前414、電話0594-77-1128

形状

平山城(標高84m、比高差約50m)

現状・遺構等

現状:山林(光蓮寺山公園)
遺構等:曲輪、土塁、堀切?、石碑

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2010/12/03

歴史等

「伊陽五鈴遺響」では、近江六角義賢の四男が菰野町田光城主となり、梅戸左衛門高貴と称して梅戸城(うめどじょう)を築いたとしているが、「三国地誌」では、六角高頼の四男高実が田光城主である梅戸家を継いだとしている。
梅戸氏は、北勢四十八家の一つで、付近にかなりの勢力を誇っていた。梅戸城と田光城は、伊勢桑名と近江日野を結ぶ八風越えの街道筋にあたり、梅戸氏はここの通行税を徴収していた。
永禄4年(1561)高実が死亡し、次男・実秀が跡目を継いだが、永禄11年(1568)織田信長の北伊勢侵攻により滅ぼされた。
『日本城郭大系10より』

現況・登城記・感想等

光蓮寺の裏山(光蓮寺山)が梅戸城跡である。頂上部の城跡までの道は、結構広いがかなり荒れたでこぼこ道だが、中世城郭の雰囲気はある。
頂上部の城跡は、一応、光蓮寺山公園となっており、一旦は整備されたようだが、その後、放置されているようで、一面藪になっている。
主郭北側の土塁上には石碑が立ち、主郭周囲には低い土塁がめぐっている。
主郭の南側にも一段低い曲輪があり、その両側は急崖になっている。
(2010/12/03登城して)

ギャラリー

光蓮寺(背後の山が梅戸城跡)
梅戸城跡は光蓮寺の背後(西)の山である。寺の駐車場を拝借して、山の南(写真左)の方へ廻り登城開始。

登城道
頂上部の城跡までの道は、結構広いがかなり荒れたでこぼこ道だが、中世城郭の雰囲気はある。単独登城の私は、イノシシや猿が出てくるのではと、妙に気味悪かったが・・・(苦笑)。

堀切?
登城始めて、しばらくすると右手に堀切のような形跡の道が・・・。主郭から降りてくる時に分かったのだが、ここを入って行き、左側へ登って、主郭へたどり着くこともできる。恐らく、往時の本来の登城道であったのだろう。

頂上部は藪!
登り切ると、そこは主郭北西部となり、広い平坦地で藪・藪・藪・・・。この平坦地は、西の方へ続いている。恐らく、この辺りも一部は城域で、どこかに主郭部と断ち切る空堀があったのであろう。そうでなければ、西側から攻められたら「ようこそ、いらっしゃいませ」といった感じだ(笑)。

主郭北側の土塁上の石碑
主郭の北側の土塁上に「光蓮寺山公園」と刻まれた石碑が立っている。よく見ると、その右上に小さく「梅戸城址」と刻まれていた。

主郭
主郭は尾根上に築かれ、30m×60mほどの長方形で、両側は自然崖になっている。

主郭周囲の土塁
主郭周囲は高さ1mほどの土塁で囲まれている。

主郭の紅葉
主郭の所々に紅葉が植えられ、真っ盛りで綺麗だったので、ついでに写真を掲載!

二郭
主郭の南側に、一段低い曲輪を確認。二郭だろう。写真は二郭から二郭と一段上の主郭方面を撮影したものである。

二郭両側は急崖
二郭の両側と一部は急崖になっており、それなりに堅固であったのが分かる。

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