民家前の道路脇に立つ城址標柱
平氏の一族伊東景清の館
読み方
やげんさかやかた
別名
景清屋敷
所在地
三重県亀山市辺法寺町字野元坂
【アクセス】
県道302号線「野登橋北詰」信号を南進し、約300mにある「原田橋南詰」信号を東進し、東名阪自動車道に架かる橋を渡ると、すぐ(約40m)左手の民家の前に城址標柱が立っている。この周辺が城跡で、民家の裏手の山林に土塁と空堀が。
形状
居館
現状・遺構等
【現状】 宅地、山林など
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、標柱(説明付き)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2012/11/07
歴史等
平安末期、平氏の一族伊東景清(悪七兵衛)の館跡。標高60mの台地上にあり、方形で外側には土塁・堀を巡らしてあった。土塁南方の畑は今でも「馬場」と呼ばれている。
昭和44年3月、東名阪国道建設のため発掘調査によって、土塁・周涅(まわりの黒土)・溝址土拡・柱穴郡が検出され、土師器・須恵器・陶器などが出土した。
『現地標柱(説明付き)より』
現況・登城記・感想等
城の遺構の多くは、宅地や茶畑などとなって埋もれてしまい、標柱の後ろの民家の裏側が山林になっており、僅かに土塁と空堀の一部が残っているだけである。
(2012/11/07登城して)
ギャラリー
土塁と空堀
民家の裏の山林の中を強引に登って行くと、土塁が見え、ほとんど埋まってしまってはいるが空堀も確認。
曲輪内
土塁には、一部虎口のようなのがあり、そこから曲輪跡へ入って行ったら、ミカン畑などになっていた。