主郭と土塁
足利12代将軍義晴の家臣矢田監物が築いた城
所在地
三重県四日市市山田町
【アクセス】
安性寺の裏山(北側)が城跡で、寺からも登れるが、私は、その西の方にある小山田美術館の方へ廻り美術館の駐車場に車を停めて歩いて行った。美術館の駐車場の北側に交番があり、道を挟んで、その右手奥に細い道があります。そこを東へ入って行くと正面に墓地が見えて来ます。墓地の奥に見えるこんもりとした小山が城跡です。尚、この細い道は車で城跡のすぐ傍(山腹)まで入って行くことも出来ます。
安性寺:四日市市山田町1912、電話059-328-1132
小山田美術館:四日市市山田町1901−1、電話059-328-2543
形状
山城
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2014/03/27
歴史等
室町時代の天文19年(1550)、12代将軍足利義晴が近江の地で亡くなった後、その臣・矢田監物が一族郎党をつれて移り住み山田城を築いた。
その約30年後の天正18年(1590)に小田原攻めに出陣し、討死して廃城となった。
『矢田監物のいた村・小山田の歴史(瑞雲山安性寺18世香樹院宣秀・竹内宣秀著)ほか参照』
現況・登城記・感想等
山田城の全体像は掴みづらいが、主郭の西側の堀切や、その堀切の西側及び西へ延びる土塁が良好に残っています。また、主郭周囲にも土塁がめぐらされ、腰曲輪も確認できます。
ただ、主郭に矢田監物が造立した八幡宮の石碑が立つだけで、城址碑や説明板などが全くないのが残念です。
(2014/03/27登城して)
ギャラリー
山田城跡全景
小山田美術館の駐車場に車を停めて、その北東50mほどにある細い道を東進すると正面にこんもりした小山が見えて来ます。それが山田城跡で、道なりに進むと城跡山腹へ出ます。
主郭
主郭は東端部にあります。主郭の北側には高さ2mほどの土塁が設けられ、土塁の中央部には虎口らしき切れ目があります。また、主郭には矢田監物が造立した八幡宮の石碑(八幡社旧趾と刻まれている)が立ち、その背後も低いながら土塁が確認できます。
主郭西側の堀切
主郭の西側は堀切で断ち切られています。堀底から主郭側は高さ4m、西側土塁は1.5mほどです。この堀切が、当城跡の一番の見どころでしょうか。
堀切西側の土塁上から
堀切西側の土塁上(写真手前)に登ってみると、その西下は平坦地になっていましたが、曲輪跡でしょうか? また、曲輪跡の北側には土塁(写真右奥)が延びているのが分かります。
土塁
上写真右奥の土塁を外側から撮ったものですが、西の方へと70~80mほど延びています。
腰曲輪
主郭下には腰曲輪が設けられていますが、東側は、さらにその下にも平坦地があります。段曲輪になっていたものと思われます。