城内へ入るとすぐ目の前に現れる大土塁
田原荘の荘官田原氏により戦国期に築かれた飯盛山城の支城
所在地
大阪府四条畷市上田原字八の坪(月泉寺の南西約300m)
【行き方】
701号線で右手(北)に「月泉寺」を過ぎ、300m程西進した左手(南)の小山が城跡。月泉寺駐車場を拝借した。
月泉寺:上田原571 電話0743-78-0781
形状
丘城
現状・遺構等
現状:山林(多くが竹林)
遺構等:曲輪、土塁、堀切、井戸、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2009/05/11
歴史等
田原城は、田原但馬守(名は不明・洗礼名レイマン)によって、戦国期に飯森山城の支城として築かれたといわれる。
田原氏は、南北朝時代以前から田原荘の荘官として土着し、この地を支配していた。
戦国時代になると、田原但馬守は、三好長慶が飯盛山城に居城を移した頃より三好氏に属し、
田原城は飯盛山城の東方面
(大和国方面)への押さえの城としての役目を果たしていたと考えられる。
三好氏没落とともに田原氏も滅亡し、田原城も天正年間に廃城となった。
現況・登城記・感想等
城址は、ほとんどが竹薮になっている。その中をさ迷ってしまい、城の最高所にあるという主郭へ行きそびれてしまった。
それでも竹薮は、よく整備され、土塁や堀切などが多く見られ、中世の城郭の雰囲気は感じられた。
今回は時間もなく、近くの野崎城等も登城できなかったし、また機会を作って再登城しよう。
(2009/05/11登城して)
ギャラリー
月泉寺駐車場から田原城址全景を
入城
城跡の北側を通る県道701号線側から小川に架かる橋を渡って、(上写真右側から)入城すると、いきなり右手前に大土塁が現れる。また、
TOP写真のように竹林が綺麗に整備され中世の城郭の雰囲気を漂わせている。ところが、この後、城域内をさ迷ってしまった。ひょっとすると、
この大土塁上が主郭だったのだろうか?
土塁
堀切(堀底道)