山麓から眺める八幡城址
悲劇の豊臣秀次築城の山城
別名
八幡山城
所在地
滋賀県近江八幡市北之庄町・宮内町・船木町・南津田町(八幡山)
形状
山城(標高:271.9m、比高差175m)
現状・遺構等
現状:山林(八幡山山頂に村雲瑞龍寺がある)、公園
遺構等:曲輪、石垣、堀、水堀、居館跡、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2005/06/04
歴史等
天正13年(1585)豊臣秀次が近江43万石を与えられ、琵琶湖に臨む標高271.9mの八幡山(鶴翼山)に築城した。
最頂部に本丸を設け、二の丸、西の丸、北の丸、出丸が配置された一大要塞であった。
町は碁盤の目にし、八幡堀と呼ばれる運河を造り城下町と琵琶湖を通し、物資の流通を計り商業の発展に力を入れた。
天正18年(1590)秀次が尾張清洲城に移った後は、
京極高次が2万8千石で八幡城主となった。その5年後、秀次は謀反の疑いをかけられて高野山で自刃させられた。
文禄4年(1595)には京極高次が大津城に移ると八幡城は廃城となった。
『現地説明板2箇所より』
現況・登城記・感想等
比高差175mもある八幡山ではある。私の「山城登城の鉄則:山城は麓から歩いて登城すべし」があるが、
ロープウェイという文明の利器を利用してしまった。
山頂駅に着き周遊歩道に沿って歩いて行くと西の丸に出た。西の丸から眼下に広がる田園風景と琵琶湖の眺望が素晴らしい。
そこから中の丸を通り北の丸へ出た。北の丸からは琵琶湖方面と安土城址と観音寺城址が望める。さらに周遊歩道を廻って行くと、
最も往時を偲ぶに相応しい石垣が残っていた。
本丸跡には村雲門跡瑞龍寺が建っていた。瑞龍寺は秀次の生母「瑞龍寺殿日秀尼」が秀次の菩提を弔う為に、文禄5年(1596)
に創建したそうで、日蓮宗唯一の門跡寺院とのことである。
山麓には、秀次の居館跡があるらしいが、結構探したが道が分からないのと私有地で入れないとのことで諦めた。
(付近の人に居館跡を尋ねると皆が山頂の城を教えてくれるのには参った。やはり、これってマニアックなのかなあ?)
(2005/06/04登城して)
ギャラリー
西の丸跡
北の丸
北の丸跡からの眺望(安土城址・観音寺城址が望める)
北の丸近くに残っている石垣
本丸跡への道と石垣
本丸跡に建つ村雲門跡瑞龍寺
秀次の生母「瑞龍寺殿日秀尼」が秀次の菩提を弔う為に、文禄5年(1596)に創建した。
日蓮宗唯一の門跡寺院。
山麓に建つ豊臣秀次の像