模擬乾矢倉(史料館)と城門
徳川三代将軍家光の上洛に先立ち築かせた城館
別名
碧水城
所在地
滋賀県甲賀市水口町水口
形状
平城
現状・遺構等
現状:水口高校他
遺構等:模擬櫓、石垣、堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/11/19
歴史等
水口は都から伊勢へ通じる交通の要所にあり、中世後期にはすでに町並が形成されていた。天正13年(1585)
には羽柴秀吉の命により水口岡山城が築かれ、その城下町として発展を見せた。
関ヶ原合戦後、この地を直轄地とした徳川家康は、水口を東海道の宿駅に指定した。そして家康はしばしばこの地を通行し、
宿内の大徳寺などに宿泊している。
寛永11年(1634)三代将軍家光は上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館を築かせた。これが水口城である。作事奉行には建築や造園、
茶道などで知られる小堀遠州があたった。
城は堀と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられた。
その後、幕府の任命した城番が管理する番城となったが、天和2年(1682)には加藤明友が入封し水口藩が成立し、
水口城はその居城となり明治維新に至った。
維新後は廃城となり、建物や石垣の大半は撤去されたが、本丸敷地のみは保存され、昭和47年(1972)滋賀県の史跡に指定された。
平成3年(1991)、出丸の部分に矢倉が復元され、水口城資料館として開館した。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
水口高校のグラウンドの手前に水堀と石垣が残り、往時の乾矢倉を模した水口城資料館が建てられている。また、
グラウンドの周りにも堀跡が残っている。
資料館は月曜日で休館で入れなかった。どうも最近、休館によくあたるような気がする・・・??
(2007/11/18登城して)
ギャラリー
模擬櫓(資料館)への登城橋と城門
乾矢倉を模した矢倉