近江 田上山城(木之本町)

南郭の下に立つ城址標柱

賤ケ岳合戦の時に羽柴秀長が陣を構えた城で、実質上の秀吉方の本陣

別名

田上山砦、木之本城、田神山城

所在地

滋賀県伊香郡木之本町木之本、「意富布良(おほふら)神社」の裏(北側)山
意富布良神社:木之本488、0749-82-3990(駐車スペースあり)

形状

山城(陣城) 標高325m

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、虎口、馬出し、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/11/11

歴史等

天正11年(1583)3月4日、柴田勝家は北ノ庄城を発し、 近江へ向った。勝家は、玄蕃尾城を本陣とし、佐久間盛政の行市山砦を中心に別所山砦・ 橡谷山砦・林谷砦・中谷山砦等々、近江から北陸へのルートを遮断し、北近江の山塊を要塞網と化した。
一方、羽柴秀吉はこの急報に接するや、3月17日木之本に着陣し、すぐさま布陣にとりかかった。
秀吉は、宿場木之本を本陣とし、第一線として、神明山砦に大金藤八郎隊500、堂木山砦に山路正国および木下一元隊500、 北国街道の中之郷北に小川祐忠隊1000、その東方の東野山砦佐和山城主・ 堀秀政隊5000という陣配置をした。
そして、第二防御ラインは余呉湖東南岸の山稜、西から賤ケ岳砦に竹田城主・ 桑山重晴隊1000、大岩山砦に茨木城主・中川清秀隊1000、岩崎山砦に高槻城主・高山重友隊1000を配し、 北国街道を挟んだ東方の田上山(たがみやま)城に羽柴秀長隊1万5千という陣配置をした。
田上山城は、実質上の秀吉方の本陣と言え、山頂部一帯に南北に配置された3つの方形の曲輪(北郭・主郭・南郭) と主郭から西に下る西郭による中心部と、3方の尾根筋先端に設けられた防御施設からなる。
『「歴史群像シリーズ・賤ケ岳の戦い(学研刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

田上山城址へは、意富布良神社の境内右奥に「田上山登り口」の碑があり、そこから登る。
登城道は整備された広いハイキング道を登って行く。15分(950m)ほどで上宮跡へ着く。上宮跡は、それほど広くない削平地になっており、 かつては説明が記されていたのか、説明板跡のようなのが立っている。
ここからは、いよいよ山道である。登り口の碑によると、残り300mであるが、実際に登ってみると結構急な坂道を約15分ほど掛かる。
尤も、紅葉の季節で、金色に輝く林の中を歩いて登るのは気持ちよかった。
城址は、多くが藪であったが、主郭虎口と北郭間の堀切に架かる土橋と北郭の北虎口の外馬出しの土塁は良好に残っている。また、 西郭への土橋も、はっきり確認できた。
ただ、説明板の縄張図によると、北郭のさらに北の方に食違い虎口、また西郭の西の方にも食違い虎口があるらしいが、藪に遮られて断念した。
全体的に藪で多くの遺構が確認しづらかったが、藪が取り払われたら、見応え充分な城址であると確信したが・・・。
(2008/11/11登城して)

ギャラリー

田上山城縄張略図(現地説明板より)
主郭は、標高325mの最高所に位置し、北・東・南を土塁で囲まれた、 東西22m×南北32mの不整四角形で西郭と北郭に通じる虎口をもつ。北郭は東西16m×南北26mの長方形を呈し、 北側土塁の西よりに虎口が開口し、さらに外側は堀切・土橋の前方に角馬出様のかざし土居を設けて防御性を高めている。

登城口
田上山城址へは、意富布良神社の境内右奥に「田上山登り口」の碑があり、そこから登る。碑の横に、 「950m:上宮(元宮)跡、1250m:賤ケ岳合戦羽柴秀長砦跡」とある。
 

登城道
意富布良神社の登り口から少し登ると、広い道へと出る。道の脇にはお地蔵さんが延々と並んでいる。

上宮(元宮)跡
15分ほどで上宮跡へ着く。上宮跡は、それほど広くない削平地になっており、 かつては説明が記されていたのか、説明板跡のようなのが立っている。ここからは、写真右端の山道へと入る。

登城道(山道)
登り口の碑によると、残り300mであるが、実際に登ってみると結構急な坂道を約15分ほどはゆうに掛かる。 尤も、紅葉の季節で、金色に輝く林の中を歩いて登るのは気持ちよかった。
 

標柱(南郭下)
上宮(元宮)跡から15分ほど登ると、南郭切岸へと出、郭下に城址標柱が立っている。南郭は、 主郭より一段低く、その間は、藪で見づらい上にほとんど埋っているが、空堀で仕切られていたようだった。

主郭
標柱の立っているところを通り過ぎ、主郭を右上に見ながら進むと、主郭・西郭間へと出る。 ここに説明板が立っている。主郭は通り道以外は藪。主郭に限らず、この城址は他の郭も全て藪・藪・藪・・・。

主郭北虎口と土橋(北郭側から撮影)
主郭と北郭間には堀切が切られ、土橋が確認できる。

北郭の北虎口の外馬出し
この馬出しの土塁は、結構良好に残っている。説明板によると「角馬出様の土居」となっていたが、私には 「丸馬出し」のように見えたが。

藪・藪・藪・・・(汗)。
縄張図によると、馬出しのさらに北の方に食違い虎口があるようなので進むと、 高さが胸のあたりまである強烈な藪へ出くわした。勇気を出して(?)、50mほど進んだが、結局give up!!

主郭と西郭間に残る土塁
主郭から西郭への道にかけては土塁が結構良好に残っていた。

主郭・西郭間の土橋
主郭と西郭間には堀切が切られ、そこを土橋が架かっている。堀切はかなり埋ってはいるが、確認は充分出来る。 この土橋の先が、西郭で、さらにその先に虎口があるようだが、これまた藪でgive up(汗)!!

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