芳徳寺の山門手前の城址碑
将軍家剣術指南役、柳生新陰流発祥の地
所在地
奈良県奈良市柳生町
【行き方】
国道369号「柳生信号」を600m程南下して斜め左の道へ入ると「芳徳寺」へ上がる道があるので、芳徳寺に向かう。寺の横(南東)にある
「成美学寮」へ入ったすぐ右手に登城口。芳徳寺へ上がる麓に市営駐車場あり。
形状
山城
現状・遺構等
現状:山林、芳徳寺
遺構等:曲輪、堀切、石碑
満足度
?????
訪城日
1997/08/03
歴史等
築城年は不明だが、柳生氏が築城したといわれる。天文13年(1544)、筒井順昭に対して山中衆と共に柳生氏も抵抗したが、
総勢1万の軍勢で城を攻められ落城した。
永禄2年(1559)、松永久秀が信貴山城を修築して大和侵攻を開始すると、
柳生家巌・宗巌父子は松永氏に与し、永禄6年(1563)の多武峰合戦に出陣した宗巌は、傷を負いながらも奮戦し戦功を上げた。
その後、元亀2年(1571)の辰市合戦にも宗巌は松永久秀に味方し筒井順慶と戦った。この合戦で松永方は敗北し、
宗巌の嫡男巌勝が負傷した。
その後、天正13年(1585)に柳生宗巌は秀吉により所領没収となるが、
慶長5年に関ヶ原の戦功により宗巌の五男宗矩が柳生家再興を果たし、柳生陣屋を構えた。
現況・登城記・感想等
どうも柳生というと、「陰謀」の文字が頭に浮かび暗い感じがする。柳生の里は、今では奈良市とは云いながら、
非常に山奥深い里にあった。
芳徳寺と柳生一族累代の墓所を見ただけで帰ってきてしまった。
最近、かなり整備されたようであり、柳生陣屋ともども、機会があれば再訪問してみよう。
(1997/08/03訪れて)