備前 高取山城(岡山市、瀬戸内市)

高取山城遠景、中央奥の山が城跡

備前守護代浦上氏家臣島村氏の居城、宇喜多直家により謀殺され城も攻略される

所在地

岡山県瀬戸内市邑久町東谷、
岡山県岡山市東区長沼
【アクセス】
県道226号で千町川を南へ渡ると「砥石城跡入口」と「高取山城、これより西約1km」の案内板が立っているので、ここを右折し県道231号線を西進すると、左手の東谷公会堂横(道に沿った小川の向こう側)に「高取山城跡証跡(何故か「証」の字がある)」の看板がある。そこに登城口の案内がある。 登城口付近には駐車スペースはないのでここから徒歩で行く。

所要時間

東谷公会堂から登城口まで約4分
登城口から約30分?

形状

山城(標高163m、比高160m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、井戸、説明板

満足度

?????

訪城日

2011/11/13(登城口まで)

歴史等

高取山城の経歴は、備前守護代浦上氏の重臣高取氏が居城したとの伝承があるが、築城期が定かでなく、その後、千町平野南部を拠点に島村氏が居城したと推定され、応仁年間(1467~69)には備前守護代浦上氏に仕える島村氏の名がみえる。
「備前軍記」によれば、享禄4年(1531)に浦上村宗の重臣として高取城主島村貴則の名もあり、島村氏は代々この城を居城に浦上氏に仕えていたと考えられる。
貴則の子豊後守は、天文3年(1534)、この地域を基盤に国人化していた宇喜多能家を砥石城に夜襲をかけて攻め滅ぼし、浦上氏隷下の国人に成長し、この地方を20数年間にわたって司った。
しかし、豊後守も永禄2年(1559)、能家の孫直家に謀殺され、居城も攻略された。
『日本城郭大系13他より』

現況・登城記・感想等

砥石城を訪れた時に、登城口で高取山城への案内板をたまたま見付けた。
11月のPM3:45でもあり、登城は無理かもしれないが、いつか登城するために、山容を見るのと登城口だけでも見付けておこうと思い出掛けた。
登城口には徒歩30分と書かれた案内板があった。城跡は、東谷集落背後の山であり、確かに30分近くは掛かるだろうと思い、登城を諦めた。
かなり遺構も良好に残っているようなので、近いうちに登城しようと思う。
(2011/11/13)

ギャラリー

砥石城の登城口に高取山城への案内板が
砥石城へ向かったら、砥石山(砥石城跡)への北側登城口に、「砥石城跡入口」の案内板があり、その下に「高取山城跡、これより西約1km」の案内板もあった。
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「高取山城跡」の看板
砥石城跡入口にあった案内板に従って県道231号線を西進すると、左手の小川の向こう側に「高取山城証跡」と書かれた看板があった。「証」って何だろう??
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「邑久町東谷今昔の感」の説明板
上写真の「高取山城証跡」の看板の裏側に廻ってみると、邑久町東谷今昔の説明の中に、高取山城跡についても書かれ、登城口までの地図も載っていた。ここには、登城口から約20分とあったので、時間的にも何とかなるかもと思ったが・・・。どの山が高取山城か分からなかったので、地元の方に尋ねたら「背後の山の奥の山(TOP写真中央奥の山)が城跡で、30分は掛かるので、今から登るのは止めた方が良い」と言われた。
IMG_6782

登城口
取り敢えず、登城口まで行ってみると、ここには「標高163m、杖あります、徒歩30分」との案内板が・・・。確かに、山容(TOP写真参照)を見ても20分で登れるような感じはしないので、登城断念(;>_<;)。
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