前方後円墳の東端に付け足された土塁
豊前国宇佐出身の立石氏が前方後円墳を利用して築いた城
所在地
岡山県津山市二宮
【アクセス】
国道179号「院庄信号」から1.5km程東進した路地を左折して300m程北上すると、右手に美和山古墳公園があります。この古墳公園の中の1号墳が城跡で、古墳公園に無料駐車場があります。
所要時間
駐車場から城跡の古墳まで2~3分で、今回の見学時間は15分ほどでした。
形状
丘城(標高154m、比高30m)
現状・遺構等
【現状】 美和山古墳群1号墳
【遺構等】 土塁、井戸?、標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/11/23
歴史等
美和山城は築城年代は不明であり、築城者は立石高国とも高志ともいわれる。
立石氏の出自は、九州豊前国宇佐郡立石村で、本姓は漆島氏で、後に漆間と改称し、美和山城の南方500mにある高野神社の神主職を得て勢力を伸ばしたといわれる。
明応7年(1498)の立石景泰の時、三星城の後藤勝国が攻めてきたが、景泰はこれを撃退した。
しかし、その4年後の文亀2年(1502)、景泰の子久朝の時、後藤勝国の孫勝基が金室山城(勝北町)の城主浦上行重と共に美和山城を攻めてきた。この時、久朝は防ぎきれず落城、久朝は自刃した。
『日本城郭大系13より』
現況・登城記・感想等
美和山城は、美作地方最大の前方後円墳である美和山古墳群4基の中で最大規模(全長80m)の1号墳を利用して築かれています。
一見ただの古墳にしか見えないが、前方後円墳の東西両端に付け足した土塁が残っています。
丘陵上にあるので遠望はきくが、規模も小さく、大した防御にもなっておらず、本当に城なのか疑問に感じるほどです。
尚、案内板には北側に井戸が載っていますが気が付きませんでした。
(2013/11/23)
ギャラリー
美和山城(美和山古墳群1号基)の図 ~現地案内板より~
美和山城(美和山古墳群1号基)全景
一見、ただの前方後円墳です。
西側の土塁