美作 神楽尾城(津山市)

神楽尾城本丸跡

尼子氏滅亡後、毛利氏に属すも、宇喜多氏部将花房氏により落城

読み方

かぐらおじょう

所在地

岡山県津山市総社、上田邑
【アクセス】
津山市市街地の北西約2km地点にある神楽尾山が城跡で、麓には「神楽尾公園」があり、そこから登城します。道がややこしくて上手く説明できませんが、ナビで「津山市総社」を指定すると「神楽尾公園」が出て来ると思うので分かると思います。スミマセン(/。ヽ)。
公園には、神楽尾城の散策コースが載っています。勿論、広い駐車場が完備されています。
私は小原ルートを選択し、二の丸→武者溜り→本丸→武者溜り→馬場→三の丸と廻り、総社東ルートを下りて来ましたが、時間的なことを考えれば、下山も三の丸から二の丸へ戻り、小原ルートで戻って来ることをお薦めします。
(神楽尾城散策コース案内) ~神楽尾公園案内板より~
神楽尾城跡散策コース

所要時間

神楽尾公園から小原ルートで本丸まで30分ほど。今回の見学時間は1時間30分ほどでした。

形状

山城(標高308m、比高約170m)

現状・遺構等

【現状】 神楽尾公園、山林
【遺構等】 曲輪、土塁、櫓台、空堀、堀切、竪堀、土橋、木碑、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2013/11/24

歴史等

神楽尾城の築城年代は不明であるが、正平17年頃(貞治年間、1362~68)に宇都宮教貞が在城したといわれる。
室町時代、神楽尾城では山名氏と赤松氏が戦いを繰り広げた。
その後、天文元年(1532)に、尼子経久が美作に攻め入り、東美作の諸城を降したが、この頃、神楽尾城は山名氏兼が守っていたが、尼子氏に降った稲荷山城の原田忠長に攻められ落城した。しかし、その後、天文12年(1543)に山名氏が反撃し、稲荷山城を落とし、原田忠長を討ち取った。
時は移り、永禄9年(1566)に尼子氏の本拠月山富田城が毛利氏の軍門に降り尼子氏が滅亡すると、美作の諸城はそれぞれ、毛利氏・宇喜多氏・浦上氏の配下に属することになったが、神楽尾城は、毛利氏に属した。
天正6年(1578)、羽柴秀吉の中国地方侵攻に伴い、荒神山城に花房職秀を置いていた宇喜多直家は秀吉方に就いて、毛利方の諸城と対峙した。そして、天正7年(1579)、神楽尾城は花房職秀に攻められ落城した。
『日本城郭大系13」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

神楽尾城は、津山市街の北西(美作国のほぼ中央)にある神楽尾山に築かれた山城です。
縄張は、山頂を中心とした本丸、その南東の二の丸、南の尾根にある三の丸、そして本丸と三の丸を繋ぐ馬場・武者溜りからなります。
現在、山の南東麓には神楽尾公園があり、市民の憩いの場となっています。
また、城跡も、神楽尾城跡保存協力会のお蔭か、登城道も散策コースとして整備され多くの人々が散策しています。
公園化にあたっても、かつての曲輪を基調として整備され、遺構が良好に残され、案内板が設置されているのが有難い。
本丸から望む360度パノラマの眺望は素晴らしく、さすが「四周展望の城」と呼ばれるだけのことはあります。
(2013/11/24登城して)

ギャラリー

神楽尾城縄張り略図
神楽尾城の縄張は、山頂を中心とした本丸、その南東の二の丸、南の尾根にある三の丸、そして本丸と三の丸を繋ぐ馬場・武者溜りからなります。
神楽尾城縄張り

土橋道
神楽尾公園の駐車場から小原ルートを歩き始めて15分ほどで、この土橋道へ出ます。道の両側が笹や藪に覆われているが、何となく土橋っぽい地形なのは分かります。
01土橋道

切岸、堀底道
土橋道から3分ほど進むと、両側が切岸の堀底道になります。両側上は二の丸のようです。
03切岸

二の丸へ
堀底道の最頂部から二の丸へ登ることができます。写真の両側上が二の丸です。
05二の丸

二の丸
二の丸は草も刈り取られ綺麗に整備されています。まだ霧があがらず、写真では分かり辛いですが、曲輪を区画する土塁もあります。
09二の丸

土橋
二の丸をあとにして、少し進むと、土橋へ出る。土橋とはいえ、両側を草木が覆っているので、普通の田舎道のような感じです。縄張図から見ると、左側は自然の崖で、右側は空堀のようです。
11土橋

泥田堀
次に、泥田堀へ出ます。往時は沼だったのでしょうか。
13泥田沼

分岐点
泥田堀から2~3分進むと、武者溜り・本丸方面と馬場・三の丸方面への分岐点へ出る。当写真奥は馬場跡です。
14分岐点

武者溜り・本丸方面へ
まずは本丸を目指します。写真奥に見える坂道の横が武者溜りですが、ここから武者溜りにかけての平坦地は実に広いです。よく他の城で「千人溜り」などという名がありますが、ここなら千人どころか5千人くらい集まれそうです。
15武者溜り

登り坂の土橋&武者溜り
土橋が登り坂になっていますが、こういう土橋ってあまり他では見ないですよね。この坂道の土橋を登って行くと本丸へ向かいます。坂道の右側は武者溜りです。
16武者溜り

井戸跡
上写真の登り坂の土橋を挟んで、右側の武者溜り隅と、左側の崖部分には井戸跡がありますが、どちらも確認し辛いです。特に、武者溜り隅の井戸跡は、案内柱がなかったら、まず気が付かないでしょう。
19井戸 21井戸

虎口
本丸へ登る前に虎口があります。縄張りを見ると、内枡形虎口となっていますが、分かり辛いです。
31虎口

櫓台と曲輪
上写真の虎口を入ると、左側には櫓台、さらにその奥は曲輪となっています。曲輪は兎も角、櫓台はどうにも分かり辛いです。
33櫓台

本丸へ
本丸は、南北約45m、東西約40mの不正方形で、周囲下には幾段もの段曲輪がある。本丸へ登ると、まず最初に城址名木碑が立ち、その後ろの塚に三角点があります。塚の上には、全方位の山や建物などの案内板(塚上の円柱)があります。
尚、この塚ですが、「当然、公園化に当たって築かれたもの」と思っていたのですが、日本城郭大系に「本丸の真ん中に南北6m、東西5m、高さ2mの段郭が築かれている」とありました。未だに、ムム・・・・??です。

41本丸へ

本丸からの眺望①
本丸から望む360度パノラマの眺望は素晴らしく、さすが「四周展望の城」と呼ばれるだけのことはありますが、この辺りは、この季節には午前中は霧が立ち込め、残念ながら・・・・・。写真の通りです(/。ヽ)。
45眺望2

本丸からの眺望②
一方、山の方は、その霧が雲海となり、お蔭で幻想的な景色が見られます(*^_^*)。
45眺望

馬場跡
本丸を見終えたら、武者溜りへ下り、先程の分岐点へ戻り、馬場跡を通って三の丸へ向かいます。武者溜りも広いですが、馬場も幅も広い上、長さもかなり(約130m)のものです。他の山城でも、よく馬場跡なんてのがあり、「こんな山の上に?」と、いつも疑問に思うのですが、ここなら信用します(笑)。
47馬場

三の丸への虎口
三の丸の虎口の前には、喰い違いに空堀が掘られ、三の丸へはぐるっと廻るように入って行くようになっていて、これぞ「中世の山城」というイメージです(*^_^*)。
51三の丸へ

三の丸
三の丸は、かなり広く、三段になっているようですが、木々が遮り全体像が分かりませんでした。
53三の丸

竪堀群
縄張図によると、三の丸の西端には竪堀群があり、現場にも「竪堀群」の標柱が立っているのですが、藪がひどくて全く分かりませんでした。
55竪堀群

土橋
三の丸を見終えて、総社東ルートで公園へ向かうと、長~い土橋が現れます。この土橋は、痩せ尾根に手を加えたものでしょうが、両側が急崖で、一番明確な土橋です。
尚、私のお薦めですが、この先には見どころは少ないので、この土橋を見たら、引き返して、小原ルートで公園に戻った方が時間的に有効かと思います。
 
57土橋

神楽尾城戦没者慰霊碑
総社東ルートと総社西ルートの合流点辺りに神楽尾城戦没者慰霊碑がたっています。
IMG_5310

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