海印寺から望む富岡公園(陶氏館跡)
大内氏一族の陶氏2代弘政が移り住んだ居館
別名
平城(ひらじょう)
所在地
山口県周南市下上武井(富岡公園)
【アクセス】
私は、まず海印寺を訪れた。海印寺の山門から南の方を眺めると、100mほどのところに高台の公園らしきのが見える。それが、富岡公園で陶氏館跡である。
海印寺:周南市下上1754、0834-62-0642
形状
居館
現状・遺構等
【現状】 富岡公園
【遺構等】 石碑、説明板、海印寺に陶氏供養塔
満足度
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訪城日
2012/11/08
歴史等
陶氏は大内氏の流れをくむ右田氏の祖、摂津守盛長5世の孫弘賢が吉敷郡陶村(現山口市陶)の領主となり陶を氏とした。
2代弘政は世の中が南朝・北朝に分裂して混乱状態の中、大内弘世の南朝方に従い、下松の北朝方鷲頭氏(大内家庶流)攻撃に際し、吉敷郡陶からこの地(大字下上字武井の岡の原)に移り住み、やがてここに居館を構え、累代居住した。これを、平城(ひらじょう)と云う、もと富岡小学校の敷地(現富岡公園)であった。
平城の南に続いて一段低いところを「にいいどん」と云い、即ち新殿のなまりで陶氏が新館を建てた所と伝える。
また、館の北の方に一支城と思われる、上野の城山(じょうやま)があり、この地に古社上野八幡宮が鎮座しているが、正平10年(1355)の陶弘政が建立したものと伝え、弘政がこの地に本拠を置いた時の創建とみられる。
『「現地居館址碑&説明板」、「日本城郭大系14」参照』
現況・登城記・感想等
陶氏館は富田川の西岸にある小高い丘陵に築かれている。現在は小公園となり、公園内北側に石碑と案内板が設置されている。
近く(北約100m)の海印寺には陶弘護の次男興明と、陶晴賢の兄興昌の供養塔がある。
(2012/11/08訪れて)
ギャラリー
陶氏館と支城の立地(現地説明板より)
館の南北には、支城が多く構えられていたようだ。
富岡公園(陶氏館跡)入口
陶氏館跡は、以前は富岡小学校になっていたそうだが、今は、富岡公園という小公園になっており、その入り口に「陶氏館跡」の看板(写真左側)が金網に縛り付けてある。公園内では、ゲートボールに興じている人達が・・・。のどかな光景です。
石碑と説明板
公園内北側には、立派な城址碑と説明が刻まれた碑、そして説明板が立っている。背後に見える山が上野の城山でしょうか。
南側から館跡を
館は、ちょっとした高台上にあり、こうして眺めると館跡らしい雰囲気も?
陶弘護の次男興明と、陶晴賢の兄興昌の供養塔
近く(北約100m)の海印寺の山門脇には陶弘護の次男興明と、陶晴賢の兄興昌の供養塔がある。