長門 長府陣屋(下関市)

陣屋跡に建つ豊浦高校の土塀

一国一城令により櫛崎城が廃城となり城の西麓に構えた陣屋

所在地

山口県下関市長府宮崎町1-1(豊浦高校)
豊浦高校:長府宮崎町1-1、電話083-245-2161

形状

陣屋

現状

【現状】 豊浦高校
【遺構等】 模擬土塀?

満足度

-----

訪城日

2012/11/08

歴史等

元和元年(1615)、一国一城令によって櫛崎城は廃城となり、藩主毛利秀元は櫛崎城の西麓に新たに居館を構えた。これが長府陣屋である。。
文久3年(1863)、長州藩が攘夷実行のために外国船に砲撃を加えたのに対して、報復攻撃された。
そこで、海に近い長府陣屋は、海上に対する防衛力に欠けることを痛感した藩主元周は、海から離れた勝山に新たに勝山御殿を築いて移り、長府陣屋は廃された。

現況・登城記・感想等

長府陣屋跡は、豊浦高校の敷地となり、遺構は全く残されていない。
往時のものではないが、高校の周囲の壁が、土塀造りとなっていて、それなりに往時の面影を残し、校内への入口が、松崎口とか浜之坂口などとなっていて面白いが・・・?
(2012/11/08訪れて)

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント