肥前 姉川城(神埼市)

館(主郭)と天満宮のある島の間のクリーク

菊池武安により築かれた佐賀平野特有の濠(クリーク)を利用した水城

所在地

佐賀県神埼市神埼町姉川下分
【アクセス】
国道34号線「上犬童」信号を北東へ役1km進むと、左手に「神埼姉川簡易郵便局」がある。その手前を左折し、400mほど北上すると右手に城跡がある。

形状

平城(水城)、環濠集落

現状・遺構等

【現状】 雑木林、田園等(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、水堀、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2012/11/12

歴史等

姉川城は、正平15年(1360)に菊池武安が築城したとされる。
後に菊池氏の子孫である姉川氏が入り、戦国時代には少弐氏に属していた。その後龍造寺隆信が台頭するとその下に入り、大友義鎮の侵攻を防ぐなどの働きを見せている。元亀3年(1572)に姉川氏は加増を受け、姉川から坊所に転封された。
その後の当城の詳細は不明だが、城館跡と環濠集落跡が発掘され2010年に国の史跡に指定された。
『「現地説明板」、「ウィキペディア」参照』

現況・登城記・感想等

直鳥城は、近くにある横武城直鳥城と同様に、佐賀平野特有の濠(クリーク)を防御に利用した城郭で、多くの島がそれぞれ曲輪として利用されている。
ほぼ中心には、主郭と思われる「館(屋形)」と呼ばれる城内最大の島(曲輪)があり、その周囲には「小路屋敷」「妙法寺」「観世音寺」「奥館」と呼ばれる島が存在している。
曲輪の周囲には土塁が巡っていたと言われるが、昭和の初めに耕地の開墾で削平されてしまったという。
館(主郭)からは大規模な建物跡や門跡の存在が確認され、13世紀前半から17世紀まで存続した遺跡であったことが分かったという。
(2012/11/12登城して)

ギャラリー

姉川城跡と周辺の地図
姉川城跡周辺図

姉川城跡航空写真(現地説明板より)
姉川城航空写真

天満宮
主郭へ向かう手前に天満宮があり、神社入り口脇に姉川城の案内板が設置されている。
天満宮

主郭へ
写真正面が主郭と思われる「館(屋形)」と呼ばれる城内最大の島(曲輪)で、ここから大規模な建物跡や門跡の存在が確認されたという。
主郭への道

大規模なクリーク
姉川城のクリークは、近くにある横武城や直鳥城のクリークと較べ、その多くが規模がかなり大きいようだ。
クリーク

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