御館の高石垣と門への石段・石垣と漆喰塀
平戸城へ移るまでの藩主の居館
読み方
ひらどおたち
所在地
長崎県平戸市鏡川町12、松浦史料博物館
松浦史料博物館:平戸市鏡川町12、0950-22-2236
形状
居館
現状
【現状】 松浦史料博物館
【遺構等】 石垣、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2012/11/11
歴史等
慶長4年(1599)、松浦氏26代当主松浦法印鎮信は、亀岡の地に「日の岳城」を築いたが、同12年(1607)、徳川幕府に対する韜晦策か、城を自焼し、平戸港を挟んで対岸の丘陵中腹に「御館」を造営し居住した。
その後、29代・天祥鎮信が幕府に築城を申請し、次の代の棟のときの宝永元年(1704)から足かけ4年がかりで宝永4年(1707)平戸城が完成し、御館は廃された。
『「日本城郭大辞典(新人物往来社刊)」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「現地説明板」他参照』
現況・登城記・感想等
平戸御館跡には、明治26年に旧平戸藩主松浦詮の私邸「鶴ヶ峯邸」が建てられ、現在は松浦資料博物館となっている。
石垣と石段は当時のまま残り、折れるように門まで登っていく石段とその両側の石垣と漆喰の塀、また館下の高石垣の光景はなかなか趣きがある。
(2012/11/11訪れて)
ギャラリー
御館遠景(平戸城天守上から撮影)
御館は平戸城から平戸港を挟んだ北西の丘陵中腹にある。
石碑と門へ続く石段・漆喰塀
館の下から門まで登る石段とその両側の漆喰塀、そして奥に見える高石垣とのコラボは趣きがある。
石段と門
旧平戸藩主邸(松浦史料博物館)
平戸御館跡には、明治26年に旧平戸藩主松浦詮の私邸「鶴ヶ峯邸」が建てられ、現在は松浦資料博物館となっている。
松浦隆信(道可)の像
石段の下段の方には、盛んに南蛮貿易を行ない、勢力を拡大して北松浦一帯を制圧し、平戸松浦家の基礎を固めた「松浦隆信(道可)」の像が建てられている。