肥前 大村城(大村市)

大手門前から眺める板敷櫓

大村氏12代270余年の居城

別名

玖島城

所在地

長崎県大村市玖島一丁目、大村公園

形状

平山城(海城) 標高16.8m

現状・遺構等

現状:大村公園
遺構等:再建櫓、曲輪、土塁、石垣、空堀、水堀?、新蔵波止、舟蔵跡、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

1999/05/24
2003/12/21
2007/02/12

歴史等

玖島城は、慶長4年(1599)、第19代当主大村喜前(よしあき)が築城してから、第30代純熙(すみひろ) に至る幕末までの12代270余年の間、2万7千石大村氏の居城であった。
喜前は、豊臣秀吉の死後、天下の乱れを恐れて防御を固くするため、朝鮮の役での教訓を生かし、三方が海に囲まれたこの地を選んで本城を築き、 三城から移った。
慶長19年(1614)、第20代純頼(すみより)によって大改修が行われた。城の設計は、喜前と親しかった築城の名人・ 加藤清正と伝えられ、築城奉行は長崎惣兵衛重方であり、扇勾配の曲線を描く石垣が美しく。その石垣がほとんど当時のまま残っている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

小さな藩の割には、結構大規模であり、石垣などの遺構がよく残り、また、その石垣が実に素晴らしい。
特に、虎口門から台所口門の枡形やと板敷櫓台の扇勾配の高石垣は素晴らしい。また、その高石垣と相俟って復興(模擬?) 櫓とは云いながら板敷櫓の姿が美しい。

ギャラリー

見取り図

本丸略図(現地説明板より)

大手門跡
玖島城の正門で門櫓が作られた厳重な扉で開閉していた。

大手門横の穴門

大手門を入り、 大手道を

枡形門跡

台所口門跡
藩主の住居を俗に「台所」 と呼んだ。その出入口にあった門でそう呼ばれた。

虎口門跡(本丸への城門)

本丸
本丸跡には大村神社が建つ。

貝吹石(ほら石)
円形の野石で、 上に大小2つの穴があり、小さな方を吹くと法螺貝の音を出すのでこの名がある。萱瀬村から寄附されたもので、昔、 天正年間竜造寺隆信が萱瀬村を襲撃の時、同村の郷士等が藩主純忠の命を奉じて戦うとき、 この石の穴を吹いて合図の陣具に代用し敵を退けたという伝説がある。
小さい穴を吹いてみたら、確かに音がしたが、あまり大きな音は出なかった!!

本丸石垣

板敷櫓①
板敷櫓台の扇勾配の高石垣は素晴らしい。

板敷櫓②

新蔵波止
藩船の発着に利用

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント