模擬天守
日向三高城の一つ、島津義弘が関ヶ原合戦の敗戦後に伊東氏に備えて築いた城
別名
天ヶ城、麓城、内山城
所在地
宮崎県宮崎市高岡町内山、天ヶ城公園
【アクセス】
天ヶ城公園が城跡で、山上まで車で登って行け、駐車場が完備してます。公園内(二の丸跡)に模擬天守(天ケ城歴史民俗資料館)が建てられています。
天ケ城歴史民俗資料館:高岡町内山3003-56、0985-82-2927
所要時間
今回の所要時間は22分でした。
形状
山城(標高121m、比高約80m)
現状・遺構等
【現状】 天ヶ城公園
【遺構等】 模擬(天守・櫓・門・塀)、門跡、碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2013/11/30
歴史等
慶長5年(1600)第17代当主・島津義弘は関ヶ原合戦に敗れ、帰国途中、八代(現国富町)で宿泊した。
そこへ、島津氏と長年戦ってきた伊東氏重臣で清武城主・稲津掃部介は島津氏を滅ぼし、旧領を取り戻すチャンスとばかり、兵を率いて八代へ進軍した。
それに対し、島津領内の領主達が八代へ兵を進めて、何とか食い止め、義弘はその隙に八代を脱出し、鹿児島へ帰り着いた。
この事件から、国境警備の必要性を痛感した義弘は、伊東氏に備えるため、久良津名(現高岡町中央部)の一部を城地として取り立て、築城し「天ヶ城」と命名し、島津氏関係の武士を強制移住させた。これが高岡城である。
その後、元和元年(1615)、一国一城令により、高岡城は廃城となった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
高岡城は比高80mほどの独立山上にある中世山城ですが、登城して、最初に驚いたのが、その広さで、近世城郭ほどの広さですw(*゚o゚*)w。
公園化するに当たって、相当改変されているのでしょうが、兎に角、だだっ広いのです。
そして、公園内に建てられた大きな天守をはじめとする模擬城郭はやたらと立派な城門や土塀まで築かれています。
一応、城址説明板があり、簡単な縄張図が載り、大手門跡とか三の丸の標柱なども立ってはいるが、ここまで見事に?公園化されてしまうと何が何やら分かりません(/。ヽ)。
城址公園のあり方について、いろいろと考えさせられる城址です。
(2013/11/30訪れて)
ギャラリー
高岡城(天ヶ城公園)案内図 ~現地案内板より~
さくら広場から模擬天守を望む
広い駐車場に車を停め、模擬天守へ向かうと、これまた山上にあるとは思えないほど途轍もなく広い広場出ます。
模擬天守
本丸跡には模擬天守(天ケ城歴史民俗資料館)が建てられています。
模擬城門
本丸と二の丸跡に建てられた模擬城門も立派なものです。
二の丸跡から模擬城郭を望む
三の丸跡
唯一、この三の丸跡だけが、妙な手を加えられずに残っているようでした。
大手門跡
城外側から撮ったもので、右側が三の丸跡です。
高岡城遠景
いろいろ問題も多いですが、山麓から見上げると、模擬天守もなかなかいいものですね。