「島津家発祥の地」と「祝吉御所舊跡」の碑と説明板(右手前)
島津家発祥の地
所在地
宮崎県都城市都元町
形状
館
現状・遺構等
現状:宅地等
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2006/07/29
歴史等
島津氏の始祖・忠久が鎌倉より下向して御所(館)を構えた所と伝えられている。当地は、古代・中世において「島津」と呼ばれ、
全国有数の荘園として知られる島津御荘(みしょう)の中心であった。
忠久は文治元年(1185)8月源頼朝によって領家の島津御荘下司職(げすしき)、ついで同荘八千町の惣地頭職、薩摩・大隅・
日向3ヶ国の守護に任ぜられるなど、その勢力がうかがわれる。忠久は、はじめ惟宗(これむね)を名乗ったが、地名をとって「島津」と称した。
『現地説明陶板より』
現況・登城記・感想等
今は、住宅地の中に説明陶板と石碑が残っているだけであるが、あの「島津氏」の発祥の地に立っているのかと思うと、 何か込み上げてくるものがある。(2206/07/29訪問して)
ギャラリー
住宅地の中に建てられた「島津家発祥の地」と「祝吉御所舊跡」の碑