薩摩 貝殻崎城(南さつま市)

築庭の中に立つ城址碑

南朝方として島津氏と争った鮫島氏の城

別名

鮫島城

所在地

鹿児島県南さつま市金峰町宮崎
【アクセス】
国道270号線「宮崎信号」から1.5kmほど北上すると、左手に石碑が立っている。駐車場はない。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 築庭、鮫島氏墓所ほか
【遺構等】 鮫島氏墓、石碑、説明碑

満足度

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訪城日

2012/11/16

歴史等

平安時代の終わり頃、駿河国の武士・鮫島四郎宗家は、源頼朝による平家追討の戦いで活躍します。その功により、頼朝が征夷大将軍となった建久3年(1192)阿多郡の地頭に任じられます。
貝殻崎城は鮫島氏の本拠として阿多郡統治の中心となった場所です。
南北朝時代になると鮫島氏は南朝方にたって島津氏などと争います。貝殻崎城でも合戦が行われました。
その後も鮫島氏は反守護の立場を保ちますが、応永27年(1420)ついに島津氏の家臣となる道を選ぶことになります。
『現地説明碑より要約』

現況・登城記・感想等

加世田麓から次の目的地・伊作城を目指して国道270号線を北上していると、道路沿い左側に築庭があり、そこに立派な石碑が立ち、「○○○城」と刻まれているような気がしたので、車を停めて石碑を見ると、『貝殻崎城址」と刻まれていた。全く予定外だったので、「ラッキー」とばかり写真を・・・。
貝殻崎城については、全く知らなかったが、説明板(碑)によると、鮫島氏の城だそうです。
石碑の立っている辺りが城跡だとするなら、そこは水田や畑に突き出た低い台地上で、あまり防御性が高い城とは思えません。また、遺構は全く残っていないようです。
何故か、城址碑には「貝殻城趾 小泉純一郎 書」とあった。帰ってきてから調べて分かったのですが、小泉純一郎の父・小泉純也の旧姓は、鮫島姓(ちょっとした疑問もあるようだが・・・)で加世田出身だそうで、その一族ということなのでしょうかね。
尚、「貝殻崎城」という一風変わった名前は、すぐ近くに「阿多貝塚」があるせいでしょうか??
(2012/11/16)

ギャラリー

城址碑
石碑には、「貝殻城趾 小泉純一郎書」とあるが、石碑裏側には、「鮫島城」と記され、その下に「揮毫 内閣総理大臣 小泉純一郎」とあった。
IMG_6444

鮫島家墓所
石碑の立つ築庭の奥には、鮫島家の墓所がある。
IMG_6445

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