南東から望むセントアンドリュース城跡
中世のスコットランドの宗教の中心地「セントアンドリュース」に、初めは司教の住居として建てられた城
英語名
St Andrews Castle
所在地
St Andrews, Fife, KY16 9AR TEL:01334 477196
訪城日
2014/07/19
歴史等
セントアンドリュースの起源は6世紀のケルト人の宗教集落にあるが、8世紀に12人のキリストの使徒の一人・聖アンデレにささげる教会が建設されて発展した。908年ごろには司教座、1472年には大司教座が設置されてスコットランドで最も重要な宗教都市となった。
12世紀には教会の隣にカノンズ小修道院(14世紀に建てられたスコットランド最大のセント・アンドリュース大聖堂の前身)が建てられ、更には13世紀初め、ロージャー司教により住居として強固に要塞化した最初の石造りの城が築かれた。
城は、14世紀にはイングランドから侵攻した軍にしばしば占領されたり、奪回したりして破壊と再建が繰り返されたが、ウォルター・トレイル司教により新築された。
ジェームズ1世は幼年時代をウォードロー司教のもとでこの城で暮らし、1445年にジェームズ3世はこの城で誕生した。
16世紀には、セントアンドリュースはフォース湾北部の重要港の一つの働きをし、1万4千人の人口があったと伝えられる。
しかし、その後、イングランドとの度重なる戦争と、16世紀の暴力的なスコットランド宗教改革で、大聖堂とともに城は崩壊し、二度と改修されなかった。
『「ウィキペディア」、「現地購入誌」他参照』
現況・登城記・感想等
ゴルフ発祥の地として有名なセントアンドリュースにある城跡です。
セントアンドリュースには、14世紀に建造されてスコットランドにおける宗教の中心地として数多くの巡礼者が訪れたセント・アンドリュース大聖堂があります。尤も、16世紀の宗教改革で破壊され、今では聖堂の壁の一部や門のほか、大聖堂の建設以前からあったセントルール教会の塔が残っているだけですが・・・。
セント・アンドリュース城も、聖堂と同様、廃墟となって、海に浸食された岩だらけの岬の上にあります。
しかし、廃墟とはいえ、荒々しい岩盤の上に築かれた城壁や城門・見張り台などの建造物の石積み、空堀等が残り見応えがあります。
否、荒れ果てた廃墟となっているがゆえ、余計に旅情を誘い魅力的でさえあり、まさに「滅びの美」で、私の最も好きなタイプの城跡です(*^_^*)。
敷地はそれほど広くはないのですが、あまりにも時間がなくて、駆け足での登城となり、見どころを随分見落としたのが本当に悔やまれます(;>_<;)。
尚、本来の発音は「セントアンドルーズ」が近いようですが、日本では「セントアンドリュース」と呼ばれることが多いので、「セントアンドリュース」に統一しました。
(2014/07/19登城して)
ギャラリー
セントアンドリュース城絵図(現地購入誌より)
北面と東面は海への断崖で守られ、西側は高い城壁を巡らせ、南側は岩を掘削した堀で防御しています。
①Site of Outer Courtyard 、②Fore Tower 、③Entrance Front、④Inner Courtyard、⑤South Range、⑥Site of Chapel Range、⑦Mine and Countermine⑧Site of Great Hall、⑨Kitchen Tower and Sea Gate、⑩Sea Tower and Bottle Dungeon、⑪Site of Postern、⑫Blockhouse Ruinz
【登城記】
我々のツアーのスケジュールにはアンドリュース城はありませんでしたが、大聖堂跡見学の時間に25分とられました。大聖堂跡も是非見たいところですが、それを犠牲にして、大急ぎでセントアンドリュース城跡を目指して歩いて行くことにしました。
セントアンドリュース城跡遠景
ツアーバスが駐車したセントアンドリュース大聖堂跡から北西へと海岸沿いの道を歩いていくと前方に、海に突き出た岬の上にセントアンドリュース城が見えて来ます。城の下の海辺は、千畳敷のような岩が広がっています。
南東から望むセントアンドリュース城跡
セントアンドリュース大聖堂から3分強歩くと城跡前に到着します。ここから見る城跡の姿はなかなかのものです。
散策路
城の手前に、城下の海辺へ下りて行く散策路があります。本来なら、是非下りて行きたいところですが、何しろ時間がないので断念しました(;>_<;)。
セントアンドリュース大学(右手前がビジターセンター)
城内へは、さらに北西へ進み城の西にあるビジターセンターから入場します。入場料か5.5ポンドです。日本での為替レートが1ポンド185円でしたから、千円強とかなり高目の設定です。イギリスは、公共の博物館や美術館の入館料は無料ですがねえ。城のビジターセンターには、城の歴史を展示されているのですが、なにぶん、許された時間は僅か15分弱です。これまた断念して大急ぎで城内へ・・・(/。ヽ)。
写真は、ビジターセンターの西にあるセントアンドリュース大学の敷地ですが、ここも往時は城の敷地だったことがあるのではないでしょうかねえ? 尚、セントアンドリュース大学は、1413年創立のスコットランド最初の大学であり、英語圏全体でも3番目に設立年代が古く、ケンブリッジ公爵・ウィリアム王子も卒業生です。
①Site of Outer Courtyard
外庭とでも訳せばいいのでしょうか?往時は、裁判所、厩、作業所もしくはパン工場や醸造所などがあったようです。
城門(Main Range & Gate)
城の南面の城門は、かなり崩れてはいるものの、よく残っています。
空堀と橋
城の南側は空堀で防御しています。空堀の深さは3~4m、幅は5~6mほどです。
反撃用坑道への入口の一つ?
城門の中には、いくつかの薄暗い部屋があり、そこに井戸のような石組みがありました。どうやら、城が包囲された際に、反撃用の坑道を掘ったそうですが、その坑道への入口のようです。ただ、説明板には「one of the false starts to counter-mine」とあるので、幾つか掘り始めた坑道の一つでしょうか?
城内側から見た城門(Part of the North Range)
左からFore Tower(表塔?)、Entrance Front(正門?)、Blockhouse Ruinz(トーチカ跡)。前面に井戸が残っています。井戸の中を覗いたら、今も水を満々と湛えていました。
Fore Towerをズームアップ
Entrance Front & Blockhouse Ruinzをズームアップ
城内(Inner Courtyard)
城の北側には、Sea Tower㊧とKitchen Tower and Sea Gate㊨の石組みが残り、その間の城壁もかなり崩れていますが残っています。中央の井戸は、3段上写真の井戸と同じものです。
Sea Tower and Bottle Dungeon(海の塔と地下牢)
北側のSea Towerの地下には、1度入れられると2度と出ることが出来ないといわれた、竪穴状の地下牢が残っているのですが、あまりにも急いで廻ったので、見落としてしまいました(;>_<;)。
Sea Towerの構造図(現地購入誌より)
Sea Towerの上
まさに廃墟ですね。実は、私は、こういうのが好きなのです(笑)。写真左側の廃墟(部屋)の中へ入って行きます。
Sea Tower
部屋の奥(海側)には、城壁を登って来る敵を撃退するための石落とし用と思われる穴が・・・。
海側の断崖絶壁(東側)
上写真の外側を覗いてみたら、まさに断崖絶壁です。こんなところを登ってくる敵がいるとは思えないですがねえ?
海側の断崖絶壁(西側)
西側は大学の敷地になりますが、こちらも海側は断崖絶壁ですw(*゚o゚*)w。
Kitchen Tower and Sea Gateと北面城壁
Kitchen Tower and Sea Gate
Kitchenへの入口
地下にあるKitchen
Kitchen Towerから大聖堂方面を望む
城の南東には大聖堂跡が見え、なかなかの光景です。写真下の芝生の地はホール(the great Hall)です。
一部残るHallの壁
Hallの手前(城内側)には、僅かに残る石造りの壁があります。この外側下がHallですが、浸食により壊れてしまったようです。
Chapel Range(教会跡)とMine and Countermine(坑道)
城門前の空堀の東部分には、Mine and Countermine(攻撃側と反撃用の坑道)への入口(写真左)があり、入って行くことが出来るようです。残念ながら、もう全く時間が残っていません。泣く泣く、見ずに下城することになりました。
また、城の南東部(写真中央やや右上)は教会跡です。
Mine and Countermine(攻撃用と反撃用の坑道)
入ることができなかったので、現地購入誌の写真を添付させて戴きます。日本の城でも、攻城の際に坑道が掘られたりしますが、ほとんどが埋められてしまっているようで、私は見たことがありませんが、ここは見事に残っていますねえw(*゚o゚*)w。