階段状の葡萄畑庭園下の噴水のところから宮殿を見上げる
葡萄園小屋に居住する夢を抱いていたフリードリヒ2世がこよなく愛した宮殿
ドイツ語名
Schloß Sanssouci
所在地
SCHLOSS SANSSOUCI, MAULBEERALLEE POTSDAM, 14469,
GERMANY
TEL:(0331)9694202
訪城日
2010/09/11
歴史等
サンスーシー宮殿は、プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒ2世王の命によって「夏の離宮」
として建てられた。
しかし、実際には、この城が完成したとき、フリードリッヒ大王は35歳で、以来、
74歳で亡くなるまでの人生のほとんどを彼はこの宮殿で過ごした。
フリードリヒ2世王は若い頃から、ベルリンを離れ、ポツダムの近くで葡萄園小屋(vigne)に居住する夢を抱いていた。
最初の設計は大王自らが行ない、これを彼のお抱え建築家クノーベルスドルフに手直しさせた。この「サンスーシー(Sanssouci)」」
という名称も、クノーベルスドルフが青年時代に出入していた「フォン・マーントイフェル家」の農場の名前「クマーフライ(憂いのない)」
をフランス語に訳し「サンスーシー(Sans Souci))」と名付けたという。
その後、この建築家クノーベルスドルフは意見の不一致から大王の怒りを買ってしまい、この宮殿を1748年に完成させたのは、
オランダ人建築家ヨハン・ブーマンである。
完成後、七年戦争を経て、著名な哲学者、政治家たちが王のまわりに招かれ交流を深めた。
また、1763年から69年にかけて、近くにヴェルサイユ宮殿を模した300室を誇る大規模な新宮殿が建てられた。
背景にはシレジア地方をめぐる3度にわたる戦争で低迷状態にあった建設業界に拍車をかけ、
優秀な手工業者たちに労働の場を提供する目的があった。
その後、大王の後継者たちも徐々にサンスーシー庭園に手を加え、
この300haに近い敷地がヨーロッパ有数の美を誇る宮庭園へと仕上げられていった。
1786年8月17日、ここでフリードリッヒ2世は没した。大王の遺体はかつてポツダムのガルニソン教会に葬られていたが、
第2次世界大戦末期のベルリン陥落の間近、遺体はテューリンゲンの岩塩坑に隠された。戦後、
ソ連支配地域にあった遺体をアメリカ軍が取り戻し、以後46年間ホーエンツォレルン城に安置され、
そして東西統一経た1991年8月18日に、ようやく、彼の遺体は、自らの遺言どおり、ここに葬られた。
『「現地購入ガイドブック。ベルリン(rahmel-verlag gmbh刊)」、「ウィキペディア」、「地球の歩き方・ドイツ
(ダイヤモンド社刊)」他参照』
現況・登城記・感想等
「サンスーシー宮殿」、まるで中国語(麻雀でよく使う?)のような名前だが、フランス語の「sanssouci(憂いのない)」
からとったものだそうだ。
そして、サンスーシー公園には、サンスーシー・新宮殿・オランジェリー宮殿・シャルロッテンホーフ宮殿など大小8つの城があるそうだ。
勿論、今回はパック旅行である。自由な時間があるわけもなく、サッスーシー宮殿は外観と庭園だけの見学、
新宮殿や中国茶館は遠くから眺めるだけ、他の宮殿に至っては姿形も見ることはなし(^_^;)。
サンスーシー宮殿は、ロココ調の建物も立派だが、この宮殿の見どころは庭園だろう。
広大な庭園に階段状の特殊な形でブドウ畑が造られている光景は見事だ。ただ、私は、このような宮殿風建物にはあまり興味はなく、
一度見たらいいなといった感じだ。
尚、当日は丁度、フリードリヒ2世の墓に花が手向けられる儀式の日?だったらしく、その様子を見られたのはラッキーだった!?
(2010/09/11訪れて)
ギャラリー
裏門?
観光バスで行くと、この前を通りパーキングへ・・・。現在、ここからは進入禁止のようだった。
宮殿裏側
写真右の方からが、ガイドツアーでの入り口になる。
フリードリッヒ大王の墓に花束を
フリードリッヒ大王の墓はサンスーシ宮殿の東側にある。紆余曲折したのちに、
遺言に従って1991年8月17日、愛犬たちの眠る横に埋葬された。当日は、多くの人により墓の上に献花が・・・。
何か特別の日だったのだろうか?
サンスーシー宮殿
フリードリヒ2世自ら設計の一部を行ない、王の趣味を反映して、こぢんまりとした瀟洒な建物である。
宮殿の中心部
階段状の葡萄畑庭園下の噴水のところから宮殿を見上げる
フリードリッヒ大王は、北ドイツでは無理と言われる葡萄に大変な執着を持ち、
広大な庭園に階段状の特殊な形でブドウ畑が造られている。宮殿のところから見下ろす庭園も良いが、
やはり下から見上げるこのアングルが一番良いのでは?
噴水近くからはるか遠くに新宮殿を
噴水近くからはるか遠くに中国茶館を
風車
宮殿の庭園の西に、大きな風車小屋が建っている。サンスーシ宮殿完成後、あまりに景観に入る位置だったため、
フリードリヒ2世が取り壊しを命じた。しかし所有していた農夫から生活を奪わないでほしいと訴えられ、
王はこの風車小屋をそのまま残したという。現在もこの逸話のためか、堂々とその風車小屋は建っている。