バッハラッハの港から山上のシュターレック城を、麓には聖ペトロ教会が
プファルツ選定侯がライン河谷に持つ6つの城の中心的城
ドイツ語名
Burg Stahleck
所在地
Jugendburg Stahleck 55422 Bacharach(バッハラッハ)
tel: (06743) 1266
fax: (06743) 2684
現状
ユースホステル(城庭は一般開放)
歴史等
シュターレック城(シュタールエック城)は、11世紀もしくは12世紀初頭、ケルン大司教によって築かれたと考えられている。当時バッハラハ周辺はケルン大司教領であった。
1135年に、初代城代として、ゴスヴィン・フォン・シュタールエックが任命される。ゴスヴィンの息子へルマンは、神聖ローマ帝国国王コンラート3世の妹と成婚し、1142年、宮中伯の称号を受けた。更に、その後継者コンラート・フォン・ホーエンシュタウフェンは、城を授与され、ライン地方にプファルツ領地を形成する。
1194年、ハインリッヒ若犬王子(ハインリッヒ獅子王の子)が、コンラートの相続王女アグネスと密かに成婚し、1195年に宮中伯を継承することになった。
その後、さまざまな経過を辿るが、1214年にヴィッテルスバッハ家のバイエルン大公オットー2世がライン宮中伯とシュターレック城を受け継ぎ、以降550年以上にわたってヴィッテルスバッハ家が続いた。
三十年戦争最中の1620年以降、シュターレック城とバッハラッハの町は、スペイン、スウェーデン、神聖ローマ帝国、バイエルン、スペイン、フランスと次々と占領され、著しく荒廃した。
そして、プファルツ継承戦争の際の1689年には、フランス軍によって城は爆破され、塔や城壁が吹き飛んだという。
1925年から27年にかけてその古城は元どおりにそっくり修復され、城の一部をユースホステルとして発足させ現在に至り、今ではドイツで最も美しいユースホステルに変身した。
『現地購入ガイドブック他参照』
現況・感想等
左岸の山上に見事な古城が現われる。そして、その麓に搭がニョキニョキと建つ町が現われる。町の名前はバッハラッハ、城はシュターレック城である。
シュターレック城は、ライン川クルーズで、リューデスハイムから乗船して、ここまで多くの古城を見てきた中では、規模は兎も角、外観は最も豪壮だ。特に、円柱形の監視搭のとんがり屋根をはじめとする黒い屋根が印象的だ!
プファルツ選定侯はライン河谷に全部で6つの城を構えていたが、このシュターレック城が中心であったというのも頷ける。
今は、ドイツで最も美しいユースホステルと言われているそうだ。城大好き人間ではあっても、古城ホテルには、それほど興味はない私だが、こんなホテルなら泊まってみたい(^-^)。
また、バッハラッハは小さいながらも、中世の趣きが残る小ぎれいな町のようだ。いつか、降りたって廻ってみたいものだ。
(2010/09/17、ライン川クルーズにて)
ギャラリー
ライン川クルーズ ~Wクリックにて拡大画面に~
ライン川下りは、終点のケルンまで延々と続くが、旅行社のパック旅行によるライン川クルーズは、リューデスハイムから乗船し、ザンクト・ゴアで下船するのが一般的なようである。そして、この間が、最も見どころが多いようで、城も密集している。
シュターレック城とバッハラッハの町が見えてくる
左岸の山上に古城が現われる。そして、その麓に搭がニョキニョキと建つ町が現われる。町の名前はバッハラッハ、城はシュターレック城である。
ズームアップ
シュターレック城は、リューデスハイムから乗船して、ここまで多くの古城を見てきた中では、規模は兎も角、外観は最も豪壮だ。特に、円柱形の監視搭のとんがり屋根をはじめとする黒い屋根が印象的だ!こうしてズームアップして見ると、周囲を堅固な城壁で囲んでいるのもよく分かる。また、首形堀には、山城には珍しく水が引かれているそうだが、勿論、見えるわけがない(笑)。
バッハラッハの港に到着
バッハラッハは小さいながら、中世の趣きが残る小ぎれいで人気のある町のようで、港は多くの乗降客で一杯だ。白くて高い塔が見えているのは聖ペトロ教会で、1100年に建てられた。
再び、ズームアップ
全景
山麓のバッハラッハの町と背後の山並みとブドウ畑、そして山上のスターレック城が織りなす景観が変化に富んでいて見事だ。