ライン川クルーズ船上からカウブの町の背後のグウテンフェルス城を見上げる
カウブの町の背後の岩壁の上に聳える堅固な城
ドイツ語名
Burg Gutenfels
別名
(当初の城名)
カウブ城(Burg Kaub)
所在地
ラインラント・プファルツ州カウプ(Kaub)
現状
古城ホテル
歴史等
グーテンフェルス城は、13世紀初頭(1200年頃)、神聖ローマ帝国の委託を受けたファルケンシュタイン・ミュンヒェンベルク一族の参事官によって築かれた。当初はカウプ城(Burg Kaub)と呼ばれた。
1257年までファルケンシュタイン家の所轄下にあったカウブ城とライン川通行課税権は、1277年にバイエルン公兼プファルツ伯(ライン宮中伯)のルートヴィヒ2世に売却された。
ルートヴィヒ2世の子ルートヴィヒ4世は、この城を好み、1326年には何度も逗留している。そして、カウプの眼の前の中洲にプファルツ城を築き、通行税の取り立ての強化をした。
バイエルン・プファルツ継承戦争時の1504年、カウブ城はヴィルヘルム・フォン・ヘッセンの軍に39日間にわたって包囲されたが、撃退した。
1508年に改修された際に、カウブ城は戦勝の記念としてプファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世により「グーテンフェルス城(直訳すると「良岩城」、「堅固な岩の城」?)」と改称された。
1793年、フランス占領軍に降伏して間もなく、1806年にナポレオンによって城は廃され、1807年には木造城が、1813年には城壁が競売にかけられた。
1833年、廃墟となった城を城郭建築家のフリードリヒ・ハーベルが買い取り、修復が始まった。
1888年には、、ケルンの建築家グスタフ・ヴァルターの手に移り、1889年から92年にかけて再建された。
但し、グーテンフェルス城は、外郭を含めると、ライン河谷でも屈指の大規模な城であり、日本の城でいうところの本丸部分だけが再建され、現在は、古城ホテルとして利用されているのである。
『「現地購入ガイドブック」、「ライン川を巡る旅・紅山雪夫著(実業の日本社刊)」他参照』
現況・感想等
グーテンフェルス城は、カウプの町の背後の山の見るからに峻険な岩壁の上に築かれている。
セットで通行税を取り立てていたというプファルツ城とは対照的に、「無骨」という言葉がピッタリで、見るからに頑丈そうな城壁だ。バイエルン・プファルツ継承戦争時に39日間もの長きに渡って敵に攻囲されてもびくともしなかったというのもうなずける。
今は古城ホテルになっているそうだが、あまり気乗りはしない(笑)。尤も、眺望は素晴らしそうだが・・・。
(2010/09/17、ライン川クルーズにて)
ギャラリー
ライン川クルーズ ~Wクリックにて拡大画面に~
ライン川下りは、終点のケルンまで延々と続くが、旅行社のパック旅行によるライン川クルーズは、リューデスハイムから乗船し、ザンクト・ゴアで下船するのが一般的なようである。そして、この間が、最も見どころが多いようで、城も密集している。
グーテンフェルス城とプファルツ城
バッハラッハ港を出ると間もなく、ライン川の中洲(岩礁と言った方が正確かも)に軍船のような姿をしたプファルツ城が見え、その背後(岸)の山上にグーテンフェルス城も見える。
カウブの町とグーテンフェルス城
グーテンフェルス城は、カウプの町の背後の山の見るからに峻険な岩壁の上に築かれている。
ズームアップ
プファルツ城とは対照的に、「無骨」という言葉がピッタリで、見るからに頑丈そうな城壁だ。今は古城ホテルになっているそうだが、あまり気乗りはしない(笑)。それに、城壁に「ホテル」と記されているのも無粋だ(苦笑)。
振り返って
この辺りは流れが速く、あっという間に通り過ぎるといった感じだ。如何にも外観が無骨な感じの城であるが、山並みやきれいなカウブの家並み、更にはライン川をいく船とのコラボは素晴らしい(^-^)。