市内中央を流れるドナウ川対岸から望むブダ城
モンゴル軍の来襲でエステルゴムから逃れてきたベーラ4世により築かれた城
別名
ブダ王宮(Budavári Palota)
所在地
BUDA CASTLE BUILDING "E", SZT.GYORGY TER 2. BUDAPEST, 1014 HUNGARY
訪城日
2012/05/29
今回の見学時間
1時間15分(ケーブルカーに乗ってから、見学しながら歩いて下りてくるまで)
歴史等
1241年、ハンガリーは、モンゴル軍の来襲・占領により国土の半分が破壊されてしまったが、同年、モンゴル帝国の大ハーンが病死したため、モンゴル軍は新しいリーダーを選ぶためハンガリーを放棄して東に退却した。そして、その後、モンゴル軍は中国侵略を決定し、ハンガリーへ戻って来ることはなかった。
エステルゴムから逃れてきたハンガリー王ベーラ4世は、荒らされた国内の再建に取り掛かり、ブダの丘の地に城(王宮)を築いた。
14世紀には、当時の王ラヨシュ1世によって王宮の増改築が行われ、ゴシック様式に改造された。
15世紀になると、マーチャーシュ1世が絶対主義統治の下で国土を拡大し、ルネッサンス文化を導入してハンガリーを繁栄へと導いた。
しかし、1541年、ハプスブルク家とウィーン侵略を目指していたオスマントルコ軍に攻撃されて、王宮は壊滅し、オスマン帝国属領として占領された。
1683年、オスマントルコ軍は、再度ウィーンを包囲したが、9月の決戦で敗れ、1699年、ハプスブルク家はハンガリーを支配下に収めた。ブダ城は、ハプスブルク家の支配下でバロック様式の宮殿が新築され、18世紀には女帝マリア・テレジアのもとで増改築が行われた。ところが、19世紀半ばに起きた大火災で大部分が焼け落ちてしまった。それを機に、再び大改築が行われ1904年に完成した。
尚、その間、1867年に成立したオーストリア・ハンガリー二重帝国は1918年まで続いた。
その後、ブダ城は、第一次世界大戦、第二次世界大戦で大規模な被害を受けたが、戦後、修復作業が行われ、1950年代にようやく完成し、今見る姿になった。
『「図説オーストリアの歴史(河出書房新社刊)」、「ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史・矢田俊隆著(山川出版社刊)」、「ブダペスト・ドナウベント(フォルプレス出版刊)」、「地球の歩き方ハンガリー(ダイヤモンド社刊)」等参照』
現況・登城記・感想等
ハンガリーの首都ブダペストは、ドナウ川が町の中央を南北に走り、西岸のブダ(オーブダとブダ地区)と東岸のペスト地区からなり、ブダ城は、西岸ブダ地区にある「*ブダの丘」の上に築かれている。
王宮の建物は、ブダの丘の南部に建ち、今は大統領官邸・国立美術館・歴史博物館などになっている。一方、丘の北部には、マーチャーシュ教会や漁夫の砦などが築かれ、多くの観光客が訪れる。
ブダペストは、「ドナウの真珠」と称えられるだけあって、さすがに美しい街で、ゲレルトの丘から眼下に見下ろすドナウ川を抱くブダペスト市内の大パノラマ、ブダ側からドナウ川越しに見下ろすくさり橋とペスト地区の光景、ペスト側から望むブダの丘の光景、ドナウ川クルーズで船の上から見る両岸の光景等々、いずれも負けず劣らず素晴らしいものだ。
とりわけ、ブダの丘の上の王宮、マーチャーシュ教会等が建つブダ城の姿は本当に素晴らしく、城内も楽しく散策することができる。
現在、ブダ城内に建つ建物は、戦後の修復によって完成したもので、歴史的建築物というわけではないが、往時の姿を見られることには変わりはない。また、城内には、深い空堀や、高く切り立った崖を固める城壁等々、往時を偲ばせてくれる遺構も多く残っている。
(2012/05/28登城して)
*ブダの丘
ブダの丘全体がブダ城の城域で、ハンガリーではブダの丘を指してヴァールvár(城、宮殿の意)というが、一般的に日本の旅行雑誌などでは、マーチャーシュ教会や漁夫の砦などが建つ北部域を「王宮の丘」、王宮が建つ南部域を「王宮」と呼んで区別しているようだ。
ギャラリー
【登城】
【くさり橋とその背後にブダ城】
くさり橋の正式名称は「セーチェニのくさり橋」といい、ハンガリーの国民的英雄セーチェニ・イシュトバーン伯爵の提唱によって10年の歳月をかけて1849年に完成した。
この橋は、ハンガリー人にとって特別な思い入れのある場所である。1849年、対オーストリア(ハプスブルク家)の独立戦争の際に、完成したばかりの橋をハプスブルク家の軍隊により一部破壊され、また戦いもハンガリーの敗北に終わり、以後、オーストリアの「新絶対主義」の支配下に入ることになってしまった。橋は、同年11月に開通した。
その1世紀後の第2次世界大戦では、ナチスドイツ軍により破壊されたが、その後、1949年に元の姿に修復されて、以来、現在までその姿を保っている。
1956年のハンガリー動乱では、ソ連の戦車が軍事的圧力をかけるためにこの橋を渡った。
そして、ハンガリーが社会主義と決別した1989年10月23日、市民は赤・白・緑の三色旗を持ってこの橋に集まり、喜びを祝ったのである。
橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は1852年に設置された。このライオン像に関しては、幾つかの逸話があり、その一つに、舌がないので人々が彫刻家マルシャルコー・ヤーノシュをからかったので、ドナウ川に投身自殺してしまったという逸話が有名だ。しかし、実際は舌はあり(但し、像を見上げると見えない)、彫刻家は1890年代まで存命であったという。
【くさり橋からブダ城を望む】
【くさり橋からマーチャーシュ教会・漁夫の砦を望む】
【ブダ城へ登るケーブルカー とOkmの石碑】
ペスト側からブダ側へ「くさり橋」へ渡ると「クラーク・アーダーム広場」へ出る。この広場は「くさり橋」の建築家の名前に由来する。またこの広場がハンガリー全土の起点・0km地点となり、「0kmの石碑」が立っている。日本で言えば「日本橋」ですね。
この広場から王宮の丘へ登るケーブルカーが出ている。このケーブルカーは、セーチェニ・イシュトバーン伯爵の息子エデンの発案で、エデンがフランスのリヨンで見たというケーブルカーをモデルに1870年に造られた。当時、エデンが見たリヨンのものに次いで、このタイプではヨーロッパで2番目に古いケーブルカーといわれている。2つの世界大戦で、完全に破壊されたが、1986年1月に現在の形で再建された。
【大統領官邸(王宮)】
ケーブルカーは、24名乗り、秒速最大1.5mで全長95mのレールをゆったりとした速度で登る。ブダの丘は比高51mなので1分ほどで山頂に到着する。ケーブルカーから降りると、右側に「大統領官邸」があり、その前に2人の衛兵が直立不動で立っている。尚、王宮は、現在、王宮劇場・大統領官邸・国立美術館・歴史博物館となっている。
【ブダの丘から見下ろすペスト地区方面の眺望】
ペスト地区の美しい街並みとドナウ川・くさり橋が相俟って素晴らしい光景が見られる。真下にはくさり橋、左の方に国会議事堂が見える。
【国立美術館(王宮)へ】
左側は国立美術館で、その入城口には彫刻で飾られた門が建っているので、ここから入城・・・。
【国立美術館(王宮)東面】
国立美術館の東面に沿って歩いて行くと、ローナ・ヨージェフ作の「サヴォヤイ・イェーヌの騎馬像」が立っている。
【空堀(北側)】
美術館東面の下には空堀があり、その前面は急崖になっている。
【空堀(南側)】
南側背後には、ハプスブルク家が築いた要塞「ツィタデラ」のある「ゲレルトの丘」が見える。
【空堀の深さ】
上写真では、空堀が非常に深いことを実感できないかもしれないので、当写真を掲載してみました。
【再び、ペスト地区方面の眺望を】
この辺りから眺めると、ドナウ川が一段とよく見え、「くさり橋」の向こうに「マルギット橋」もよく見える。中央奥に国会議事堂も見えます。
【国立美術館(王宮)西面北側】
美術館の西面へ出る。こちら側の方が、庭が広い。
【国立美術館(王宮)西面中央】
庭の中央には「ハンガリー人の馬乗りと馬」の銅像が立っている。
【国立美術館西面(南側)】
こちらには「狩りをするマーチャーシュ王」の銅像がある。
【空堀と橋】
西面の庭の前にも空堀があり、レンガ造りのアーチの上にアーチ形の橋が架かっている。この橋、非常に古くて、床や欄干が朽ちているかのような感じで迫力満点です( ̄ー ̄;。勿論、通行禁止になっています。ブダ城内で、私の一番気に入った遺構です(*^_^*)。
【二重空堀】
橋の架かる空堀の外側も大規模な空堀になっており、こちら側の防御は完璧と思えるが・・・。
【ライオンの門】
庭の南側にはライオンの門があり、そこを抜けると「ライオンの中庭」へ出、「国立セーチェニ図書館」や「ブダペスト歴史博物館」がある。
【ライオンの中庭①】
ライオンの門をくぐるとライオンの中庭へ出ます。左側建物は「国立美術館」、右奥の建物は「ブダペスト歴史博物館」。写真には写っていないが、右側には「国立セーチェニ図書館」がある。
【ライオンの中庭②】
ライオンの中庭の奥の方から振り返って撮ったものです。中央奥に、先程くぐって来た「ライオンの門」が見えます。右側建物は「国立美術館」で、左側建物は「国立セーチェニ図書館」です。
【空堀下へ】
歴史博物館の中を通り抜けると、空堀があり降りて行くことができる。
【大砲の弾】
空堀へ降りていくと、左手に石造りの丸い玉が転がっていた。どうやら、当時の大砲の弾のようだった。これはまた、貴重なものを見ることが出来て満足(*^_^*)。
【見張り塔】
空堀の右(西)側の城壁から右へ抜けることができるので、入って行くと右(南西)隅の崖の上に塔が建っている。見張りのための塔だろう。
【城壁】
振り返って、歴史博物館の方を見上げると、かなりの高低差があり、ここも結構防御が固いのが分かる。
【城壁と狭間】
2段上写真の門をくぐり抜け、左手に城壁を見ながら歩いて行くと、狭間が設けられた城壁へ出る。その右の方には、可愛らしい?建物が。左へ行くと下城道。
【丸形虎口(丸馬出し)?へ】
その可愛らしい建物の方へ歩いて行くと、周囲を城壁が丸く囲まれた空間へ出る。日本の城の「枡形虎口」或いは「丸馬出し」といったところでしょうか?
【丸形虎口?】
周囲は屋根付きの回廊になっています。
【丸形虎口を振り返って撮影】
【下城】
一旦、先程の狭間付きの城壁の前へ戻り、下城。ここにも無骨ですが、立派な門がある。
【下城道(登城道)】
上写真の門をくぐり、下りて行く。山側の城壁が立派だが、やたらと綺麗だが、これも戦後の作? 道の奥の方には、さらに門が見える。
【城めぐり終了】
なだらかな道を下りて来ると、登城時に乗ったケーブルカーの駅に到着です。合計1時間15分の城めぐりでした。
【王宮の丘】
先に述べたように、ハンガリーでは「王宮の丘」という言い方はないが、ここでは日本の旅行雑誌式に「王宮」のある南部域と区別して「北部域」の丘を『王宮の丘』とする。
【漁夫の砦】
町の美化計画の一環として、マーチャーシュ教会を改修した建築家シェレク・フリジェシュによって造られ、1902年に完成した。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊からなっている。中世時代に、ドナウで漁をする漁夫たちのギルドがあったことからこの名称がついた。
【漁夫の砦からの眺望】
漁夫の砦は、ドナウ川対岸に広がるペスト地区を一望できる絶好ポイントで、世界一美しいといわれる国会議事堂もよく見える。
【世界一美しいといわれる国会議事堂をズームアップ】
この漁夫の砦から見下ろす国会議事堂も確かに美しい。内部も素晴らしいそうで、このあと出掛けた。ガイドツアーでのみ見学できるそうだが、日本語ツアーはないという。乏しい英会話力を駆使して入場しようと勇んで入ろうとしたら、議会開催で入場不可だった。残念無念(;>_<;)。
【聖イシュトヴァーンの騎馬像】
漁夫の砦の南端、マーチャーシュ教会の横には、ハンガリー建国の父といわれ、初代ハンガリー国王の聖イシュトヴァーンの騎馬像が立っている。像の下では、鷹匠のパフォーマンス?が・・・。
【マーチャーシュ教会と聖イシュトヴァーンの騎馬像】
ペスト側からブダの丘を望むと高い尖塔が目につくが、その塔が聳える壮麗なゴシック様式の教会がマーチャーシュ教会である。正式名称は「聖処女マリア教会」。13世紀半ばにベーラ4世によってロマネスク様式で建てられたが、14世紀にゴシック様式で建て直され、15世紀にはマーチャーシュ王が塔を増築した。
【マーチャーシュ教会】
高い尖塔も素晴らしいが、陶器製のカラフルな瓦の屋根が美しい。教会の前に広がる三位一体広場の中央には18世紀に建てられた三位一体像が建つが、これは中世ヨーロッパで猛威を振るったペストの終焉を記念して建てられたものである。
【ドナウ川ナイトクルーズ】
ブダペストは、「ドナウの真珠」と称えられるだけあって、多くの場所から美しい光景を見ることができるが、ドナウ川の「ナイトクルーズ」は格別です。
【ライトアップされたドナウ川両岸の光景】
ドナウ川ナイトクルーズは、マルギット橋の北のペスト側から始まる。船が動き出すと、すぐに、左手前方に「国会議事堂」、右手前方に「マーチャーシュ教会」、さらにその向こうに「ブダ王宮」のライトアップされた姿が見えてくる。但し、当写真は戻ってきてから撮ったものなので、空が真っ暗です。
【国会議事堂】
まずは、左手に「国会議事堂」が現れる。昼間も美しいが、ライトアップされた姿は、なお美しいような・・・。
【マーチャーシュ教会】
さらに、船が南下すると、右手上にマーチャーシュ教会と漁夫の砦のライトアップされた姿が・・・。
【ブダ城とくさり橋】
さらに進むと、前方に「くさり橋」、右手前方に「ブダ城」が見えてくる。
【ブダ城とマーチャーシュ教会】
「くさり橋」の下を通過して、しばらくしてから後ろを振り返ると、「ブダ城」とその奥に「マーチャーシュ教会」、そしてドナウ川に架かる「くさり橋」の光景が・・・。
【ゲレルトの丘】
さらに南下すると、右手に「ゲレルトの丘」が・・・。丘の上には、要塞「ツィタデラ」が見え、その先端に「月桂樹を持った自由の女神像」が立っている。その姿とおぼろ月が相俟った光景が幻想的だった。