岩壁の上に聳えるカッツ城
ラインフェルス城とセットで領地を守るために対岸に築いた城
ドイツ語名
Burg Katz
正式名称
ノイカッツェンエルンボーゲン城(Burg Neukatzenelnbogen)
別称
猫城(ネコ城)
所在地
ラインラント・プファルツ州ザンクト・ゴアスハウゼン(St.Goarshausen)
現状
個人(日本人企業家)所有
歴史等
ラインフェルス城を築いてから約100年後の1371年、カッツェネルンボーゲン家は、対岸の山上にもう一つ城を築いて
「ノイカッツェネルンボーゲン城(Burg Neukatzenelnbogen)」と名付けた。しかし、
この名は長ったらしくて面倒なので、世人は前後を省略して「カッツ城(Burg Katz)」と呼ぶようになった。猫を意味する「カッツェ
(Katze)」に通じるので、言いやすく、覚えやすく、人は「猫城」と呼んだ。
カッツェネルンボーゲン家がこの城を築いたのは、1にも2にも、ライン川沿いの領地を守るためである。
関銭徴収という甘い汁を吸い続けることができるので、ライン川沿いの領地は争奪の的になっていた。カッツェネルンボーゲン家も、
はじめは左岸のザンクト・ゴア側にしか領地を持っていなかったが、後に対岸にも領地を手に入れ、
それを守り通すためにカッツ城を築いたのである。ラインフェルス城とカッツ城と互いに呼応することにより、
領地の守りはさらに固くなり、関銭の徴収もさらに確実になったであろう。
1479年、ザンクト・ゴアハウゼンはヘッセン領となり、それに従属するライン方伯領は、トリーア選帝領に隣接していたので、
城塞として重要な意味を持っていた。
1626年、ケルン選帝公爵が占領戦を展開したが、隊長D.ズアーレの必死の防衛策に阻まれた。しかし、結局ヘッセン方伯が降伏命令を下し、
城の所有物全てと共に、退去することとなった。
ラインフェルス城と同様、カッツ城も大変堅固な城であったが、1806年、フランスのナポレオン軍に爆破された。
1896~98年、枢密参事官兼部長のベルクが本来の姿に修復した。ライン川に突き出た部分に本丸が位置し、2隅の搭で強化され、
城郭が搭に繋がっている。
その後、カッツ城は連邦福祉団体の休暇施設等々、いろいろな目的に使われたが、現在は日本人企業家が所有している。
尚、城下町のザンクト・ゴアスハウゼンは、もともとは「ハウゼン」という名の小さな漁村であったが、
後に聖ゴアを町の守護聖人として仰ぐようになり、町の名を「聖ゴアさまのハウゼン」つまり「ザンクト・ゴアスハウゼン
(St.Goarshausen)と改めた。そのことにより、ライン川を挟んで似たような名の町が位置するようになった。
『「現地購入ガイドブック」、「ライン川を巡る旅・紅山雪夫著(実業の日本社刊)」他参照』
現況・感想等
リューデスハイムで乗船して約1時間30分。右岸から高さ130mあまりの岩山が突出しているのが見えてくる。ローレライである。
ローレライに近づくと、船内のスピーカーから「ローレライ」の歌が流れ、甲板に座っていた人が一斉に立ち始め、歌いだす。
ローレライは非常に硬い岩の山塊で、ライン川をこれを侵食しきれずに、急に方向を変え、川幅は110mあまりに押し狭められて、
激流をなしている。今では爆破され除去されてしまったが、昔は水中に岩礁がいっぱいあって、大変な難所であったという。そこで、
船頭達は経験とカンを頼りに激流の中を船を進めたが、夕日がローレライの岩を赤く染める頃は、川面にも夕日がきらめいて船頭の目測を誤らせ、
岩礁に乗り上げて難破することが多かったという。
このことから、崖の上から美しい歌声で船乗りを惑わし、船を転覆させるという伝説が生まれたという。
ローレライを過ぎて、真っ先に見えてくるのが「カッツ城」だ。
ライン川クルーズで、ここまで見てきた城と較べると、船と城との距離が割り合い近く、崖の上に聳える城の迫力が感じられる。
見るからに要害堅固な城といった感じだが、ここもナポレオン軍に爆破されたという。ライン川沿いの城にとってフランス軍はまさに疫病神だネ
(苦笑)
(2010/09/17、ライン川クルーズにて)
ギャラリー
ライン川クルーズ ~Wクリックにて拡大画面に~
ライン川下りは、終点のケルンまで延々と続くが、旅行社のパック旅行によるライン川クルーズは、
リューデスハイムから乗船し、ザンクト・ゴアで下船するのが一般的なようである。そして、この間が、最も見どころが多いようで、
城も密集している。
ローレライを過ぎて真っ先に見えてくるカッツ城
城の真下へ近づいてくる
ライン川クルーズで、ここまで見てきた城と較べると、船と城との距離が割り合い近く、
崖の上に聳える城の迫力が感じられる。
ズームアップ
見るからに要害堅固な城といった感じだが、ここもナポレオン軍に爆破されたという。
ライン川沿いの城にとってフランス軍はまさに疫病神だネ(苦笑)
ザンクト・ゴアスハウゼンの町とカッツ城の全景
14世紀、ザンクト・ゴアスハウゼンの町は城壁で囲まれていた。城壁は取り壊されたが、
搭が2つだけ残っており、山麓に見える。
ザンクト・ゴアからカッツ城を
我々のツアーは、カッツ城の対岸のザンクト・ゴアで下船。左の船が、ここまで乗ってきた観光船。
右奥山上にカッツ城が見える。