細川氏始祖の城
所在地
愛知県岡崎市細川町字城山
蓮性院(岡崎市細川町権水56)の隣の丘陵
形状
丘城(比高10mほど)
現状・遺構
現状:雑木林、畑
遺構等:曲輪、土塁
満足度(10点満点)
3点
歴史等
鎌倉幕府1200年代、足利一族の足利義季が、当地細川郷のここ城山に城を築き、
地名細川郷より細川義季と名乗り細川家の始祖となった。
細川一族は、南北朝期(1338年)に京都に上洛し、足利尊氏・2代将軍義詮に忠誠をつくした。
その後、細川松平氏の城となったようである。
『「蓮性院由緒」参照』
現況・登城記・感想等
登城計画を建てるまで、細川氏が岡崎市から始まるとは全く知らなかった。本当にビックリ!!
そこで、まず最初に蓮性院へと向かった。蓮性院も城郭の一部だったようである。蓮性院の裏には、細川義季、
頼之の宝筐院塔と細川松平家3本の石塔があった。蓮性院には、平成7年10月に、
細川家の子孫である79代総理大臣細川護熙が墓参をしており、墓参記念碑もあった。
蓮性院の隣の低い丘が細川城山城址である。登城道を登って行くと、土塁跡や腰曲輪(かなり狭いが)があり、
それなりに城の雰囲気が感じられないこともない。主郭跡は畑になっており、2方に土塁が残っている。
城そのものは、大したことはないが、あの細川氏が、ここから始まったのかと想像すると、感慨深いものがある。
(2007/04/28登城して)
ギャラリー
㊧登城道、㊨腰曲輪?(登城道の右下にあった)
登城道を行くと、土塁跡や腰曲輪(かなり狭いが)があり、それなりに城の雰囲気が感じられないこともない。
主郭(主郭は畑地になっているが、2方の土塁が残っており、
城址であることが充分分かる)
本丸への虎口(中央虎口の奥がやや高くなっており、主郭である)
全景(道路の左側の丘陵が城址、右側が蓮性院。
どちらか云うと蓮性院の方が高い)
細川義季、頼之の宝筐院塔と細川松平家3本の石塔
左から細川頼之、義季の宝筐院塔。右3本が細川松平家3本の石塔
79代総理大臣細川護熙の墓参記念碑
平成7年10月に、細川家の子孫である79代総理大臣細川護熙が墓参をしており、墓参記念碑が。