三河 大給城(豊田市)

大給松平氏発祥の城

所在地

愛知県豊田市大内町城下

形状

山城

現状・遺構

現状:山林
遺構;曲輪、石垣、土塁、空堀、堀切、虎口、初代藩主松平乗元の墓、石碑、説明板

満足度(10点満点)

9点

訪城日

2007/04/28

歴史等

大給城はもとは土豪長坂新左衛門の城であったが、岩津に進出した松平宗家三代の信光が攻略し、 三男親忠(松平宗家4代)に与えた。
親忠は、細川城と共にこれを次男乗元に譲り、 乗元が大給松平氏の初代となった。大給松平2代城主乗正は永正7年(1510)までに城の大修築を行った。以後、子孫5代がここを居城とし、 天正18年(1590)6代家乗の時、徳川家康の関東への国替えに伴って、上野国(群馬県)に移り、大給城は廃城となった。
大給松平の子孫は繁栄し。主なるものとして、三河西尾 信州龍岡豊後府内の藩主などがある。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

この城址は実に素晴らしい。本当に感激物である。
登城始めてから6~7分ほどすると、巨岩を断ち切ったような猛々しい堀切に出会うと同時に、右(北側)下には非常に深い空堀、 そして右前方には曲輪の石垣が見えてくる。そして、次に、これまた岩を断ち切ったような印象的な虎口へと出る。この城址では、 他にも素晴らしい虎口に随分と出会う。
主郭は総石垣に近かったのではと思われる。また、主郭は石塁で2つに分かれていたようである。
主郭奥には、途轍もなく大きな岩があり、それが物見岩になっていたようである。岩の上に立つと視界が拡がり、空気が澄んだ日には、 尾張はおろか、鈴鹿の山々まで望むことが出来るようである。残念ながら、今日は靄がかかりそこまでは無理である。しかし、 眼下には町並みと道路、またその周りの山々、そしてその山の間を通る高速道路の高架橋が見え素晴らしい眺望である。
こんなデカイ岩、意識的にこんな所に置ける訳がない。実に都合の良い場所に、巨岩があったものである。この城址は他にも巨岩が非常に多く、 虎口等々に上手く使われている。
また、主郭下から見える水の手曲輪方面の段曲輪状(中世のダム施設)の光景も素晴らしい。水の手曲輪へは立ち入り禁止になっていた。残念!! 。
それにしても、こんなに素晴らしい城址とは想像だにしていなかった。
(2007/04/28登城して)

【余談】
城址登城口を探すに当っては、ナビで住所「豊田市大内町城下・主要部」を指定したところ、「大給城址」が画面に現れたので、 そこに目標地点をずらして進んだところ、近くまで来たら、「左大給城」の案内板が出てきた。「それにしては細い道だな」と思いつつも、 左方面へ登って行った。
ところがこれが、くねくね道の急坂で、どんどん細くなり、車1台がやっと通れる幅になってくるし、おまけに片側は断崖絶壁。 そして150mほど登ったら急カーブになっていた。とても曲がれそうにないし、バックも不可能。こんな所で転落死なんかしたくない~!半分、 車の壁側がベコンベコンになるのも覚悟した。
しかし、その急カーブを曲がれれば狭いながらも削平地がある。そこで切り返せる可能性があるということで、悪戦苦闘しながら、 何十回も切り返して遂に脱出~!!。ああ~、疲れた!(汗、汗・・・)
山城めぐりでは、今までも何度かこれに近い経験をしたことがあるが、ここまでのは初めてだった。
先ほどの分岐点にもどり、反対側へ行ったら、すぐ登城口があり、駐車場まで完備!。一体、さっきの案内板は何なんだ(怒)!!。 どうやら歩行用の登山道だったようだ。
皆さん! 無理な運転は止めましょうね。(笑)

ギャラリー

大給城縄張図  ~クリックにて拡大画面に~

堀切                ~クリックにて拡大画面に~
登城始めてから6~7分ほどすると、巨岩を断ち切ったような猛々しい堀切に出会う。

曲輪2への虎口(両側共に石垣で出来ており、 多分櫓が建っていたのだろう)

曲輪2と主郭の石垣等      ~クリックにて拡大画面に~
曲輪の側面は相当部分が石垣でできていたのでは?また、主郭は総石垣に近かったのではと思う。

水の手曲輪            ~クリックにて拡大画面に~
主郭下から見える水の手曲輪方面の段曲輪状(中世のダム施設)の光景も素晴らしい。水の手曲輪へは立ち入り禁止になっていた。残念! !。

㊧主郭、㊨主郭西隅の岩の上に立つ「大給城址」の石碑
 

主郭を分ける石塁

物見岩               ~クリックにて拡大画面に~
主郭奥には、途轍もなく大きな岩があり、それが物見岩になっていたようである。こんなデカイ岩、 意識的にこんな所に置ける訳がない。実に都合の良い場所に、巨岩があったものである。

物見岩からの眺望        ~クリックにて拡大画面に~
岩の上に立つと視界が拡がり、空気が澄んだ日には、尾張はおろか、 鈴鹿の山々まで望むことが出来るようである。残念ながら、今日は靄がかかりそこまでは無理である。しかし、眼下には町並みと道路、 またその周りの山々、そしてその山の間を通る高速道路の高架橋が見え素晴らしい眺望である。

初代藩主松平乗元の墓(登城口から2~3分くらいの所にひっそりと)
 

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