美濃 今尾城(海津市)

尾張藩付家老竹腰氏の城

別名

今尾陣屋

所在地

岐阜県海津市平田町今尾4434(今尾小学校の一帯)

形状

平城(陣屋)

現状・遺構

現状:今尾小学校
遺構等:土塁、堀、石柱、説明碑

満足度(10点満点)

1点

訪城日

2007/11/26

歴史等

豊臣秀吉の家臣市橋長勝が、天正15年(1587)1万3千石を与えられ、今尾城を居城とした。
長勝は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦において東軍に属し、戦功をたて1万石を加増されたが、慶長13年(1608) に伯耆矢橋へ転封となり、一時廃藩となった。
元和5年(1619)尾張国内に2万石を領していた尾張藩付家老竹腰正信は、藩主徳川義直から美濃国内に1万石を加増され、 合わせて3万石を領して今尾城を居城とした。
竹腰家は、犬山城主成瀬氏とともに尾張藩の付家老をつとめたが、 陪臣のため立藩できなかったが、明治元年(1868)藩屏に列して藩主となったが、同4年に廃藩となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』

現況・登城記・感想等

今尾小学校の校門を入って50mほどの所に、昔懐かしい二宮金次郎の像があり、その奥に石柱と説明碑(古くて読めなかった) が建っている。
校門を入いると、左側に土塁跡?が一部残っている。また、学校の周りには堀跡らしき水路があり、鴨が。
(2007/11/26登城して)

ギャラリー

石碑と二宮金次郎像
校門を入って50mほどの所に、昔懐かしい二宮金次郎の像があり、その奥に石柱と説明碑 (古くて読めなかった)が建っている。写真では、説明碑が創立百周年の石碑に隠れてしまっている。

土塁跡?
校門を入いると、左側に土塁跡?が一部残っている。石柱と説明碑は右奥にある。

堀跡?
学校の周りには堀跡らしき水路があり、鴨が。

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