関ヶ原合戦に西軍に属して活躍した武将平塚為広の居城
所在地
岐阜県不破郡垂井町1349(専精寺一帯)
形状
平城
現状・遺構
現状:専精寺
遺構等:石碑、説明板
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2007/11/26
歴史等
関ヶ原合戦に活躍した武将平塚為広の居城。
為広は、豊臣秀吉に仕え、1万2千石の垂井城主となった。大谷吉継と西軍に属し、伏見城の戦い、
大垣城の譲渡交渉などに活躍し、
決戦当日には、病気の吉継にかわり、大谷隊を指揮した。
小早川秀秋隊が西軍を裏切り大谷隊へ攻めかけると、為広は大長刀を振り回し、小早川隊を再三追い返したが力尽き、
山内の家臣樫井太兵衛に討たれた。
敗軍の中、辞世の句を大谷吉継に送っている。
”名の為に捨つる命はおしからじついにとまらぬ浮世と思えば”
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
専精寺は、やや高台にあり、この辺り一帯が垂井城跡といわれている。お寺の駐車場の所に大きな石碑と説明板がある。
(2007/11/26訪れて)