駿河 花倉城(藤枝市)

今川氏が駿府へ移る前の本拠、「花倉の乱」の舞台に

所在地

静岡県藤枝市花倉城山

形状

山城(標高約297m)

現状・遺構

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、土橋、石碑、説明板

満足度(10点満点)

4点

訪城日

2008/02/01

歴史等

花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受け、駿遠へ進出し、その子範氏が、文和2年(1353)花倉に居館を構え、 背後の山上に詰城を築いたものと伝えられている。
その後、氏家・泰範・範政と3代約60年間、今川氏の本拠として栄え、範政が駿府へ本拠地を移した応永18年(1411)後も、 一族を花倉遍照光寺の住職とし、堅塁花倉城を、駿府の西の守りとしていた。
戦国時代の天文5年(1536)に起きた、今川義元と兄・花倉遍照光寺住持良真との間で起きた家督争い(花倉の乱)ともなった。
『現地登城口説明板より』

現況・登城記・感想等

花倉城は藤枝市の市街地からは300m近い比高差があるが、登城口へは細い道ながらも、 みかん畑や茶畑の間をかなり上まで車で登って行ける。この登城口からは比高差は100m弱程度である。
登城口には城跡の略図も描かれた説明板があり、その前を通り、入って行くと、いきなり土橋に出会う。その両側は強烈な崖になっている。
さらに登って行くと、また土橋へと出る。
登城口から登り始めて10分ほどで、二の曲輪東側下の帯曲輪へと出る。そのすぐ奥(北)に本曲輪と二の曲輪間の堀切がある。。 この堀切はなかなか見応えがある。堀切の北側が本曲輪、南側が二の曲輪である。
まずは、二の曲輪に登るが、曲輪はかなり狭い。そして往時は周りを囲っていたであろう土塁が僅かに残っている。ここから南方面を眺めると、 眼下には藤枝市の街並みが見え、その向こうに太平洋(駿河湾)がキラキラ輝いている。
二の曲輪の南西下にも空堀が良好に残っている。その空堀の向こう(西)の尾根にも曲輪等があったようで、 その200mほど先に堀切があったが、さすがは静岡県、堀切の向こう(西)は茶畑になっている。
本曲輪は城山の頂上部にあるが、木々に遮られて南東方面以外はそれほど眺望は良くない。北東部に富士山があるが、 木々の僅かな隙間から何とか見えるだけである。2~3本切ってもらえばよく見えるのに・・・。本丸もそれほど広くはない。
本丸奥(北)は土橋のような細い尾根になっており、その奥に物見台があるが、ここもやはり木々に遮られて眺望は決して良くない。
(2008/02/01登城して)

ギャラリー

花倉城略図(現地説明板より)   ~クリックにて拡大画面に~

㊧ひょうたん池、 ㊨登城口までの細い道
㊧今回の登城は、かつての同僚Iさんと一緒だ。Iさんは箆鮒釣りの名人である。今も焼津に居住し、 箆鮒釣りに勤しんでいる。花倉城は、そんなIさん達が管理している「ひょうたん池」の奥にある。㊨登城口までは、 このひょうたん池から相当登って行くが、道は非常に細く、この道の何箇所かに「土橋」のような道がある。両側は非常に深い崖になっている。
 

登城口から花倉城跡全景を
写真左に説明板があり、その前を通り登城開始する。左側の尾根を登って行く。

最初に出会う土橋
㊧登城口から入城すると、いきなり長い土橋に出会う。㊨その両側、特に左側は強烈な深い崖になっている。
 

㊧次に出会う土橋、㊨分岐点
㊧またしばらく登って行くと、また土橋に出会う。この両側の堀切はかなり埋っている。㊨土橋を渡り、 またしばらく登って行くと、「←三角山山頂」の案内板が建つ分岐点へと出る。
 

帯曲輪
分岐点を右へ進むとすぐ帯曲輪へと出る。登城口から登り始めて10分ほどである。

堀切
帯曲輪のすぐ奥(北)には、本曲輪(右側奥)と二の曲輪(左側手前)の間の堀切がある。 この堀切は山裾へと繋がっているようだ。この辺りが、この城の最大の見所であろう。

㊧二の曲輪、㊨二の曲輪の周りの土塁
二の曲輪はかなり狭い。そして往時は周りを囲っていたであろう土塁が僅かに残っている。両写真共、奥に堀切、 その向こうの一段高い土塁上が本曲輪である。
 

二の曲輪から南方面の眺望
二の曲輪から南方面を眺めると、写真では分かり辛いが、眼下には藤枝市の街並みが見え、その向こうに太平洋 (駿河湾)がキラキラ輝いている。

二の曲輪南西の空堀
先程の分岐点を左へ行くと、この空堀へと出る。この空堀も実に良好に残っている。

西尾根の堀切
この堀切の左奥は茶畑になっている。さすが静岡県! こんな高い不便な所にまで!

本丸
本丸もそれほど広くはない。また木々が遮り、南東方向以外は眺望が悪い。 北東方向に富士山が木々の間からかすかに見えたが写真には写らなかった。

本丸から二の曲輪を見下ろす(手前下に堀切が)

㊧本丸奥(北)の尾根道、㊨物見台
本丸奥(北)は土橋のような細い尾根になっており、その奥に物見台があるが、 ここもやはり木々に遮られて眺望は決して良くない。
 

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