伊勢 菰野陣屋(三重県菰野町)

土方氏代々の陣屋

所在地

三重県三重郡菰野町大字菰野1490(菰野小学校)
菰野小学校:菰野町菰野1490、TEL059-393-2006

形状

陣屋

現状・遺構

現状:菰野小学校
遺構等:土塁、堀、石垣、移築城門(金蔵寺:菰野町小島1276、TEL059-396-0131)、石碑、説明板

満足度(10点満点)

2点

訪城日

2008/05/07

歴史等

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦のあと、家康より菰野藩1万2千石が土方雄氏に与えられ、以後12代雄永に至る明治2年(1869) まで270年間土方氏の居城であった。
雄氏が菰野に入城の当初は旧滝川一益の代官所跡を修理して仮藩邸を設け、雄氏は主に京都に居住した。
2代雄高は城の中心部に館を建て、周囲に武家の屋敷割を定め、東西南北に木戸を設けて城の構えを整えた。
3代雄豊のとき、東町、庄部、川原町等を開き、城下町造りを行った。
(菰野小学校南側説明板より)

現況・登城記・感想等

菰野陣屋跡の大部分は、現在、菰野小学校の敷地となっていて、往時を僅かに偲ばせてくれるものとしては、 小学校の北西の住宅の裏に堀の一部と土塁が残っているだけである。
尚、小学校の南側(近鉄の線路側)に、築山が築かれ、その植え込みの中に城址碑と説明板がある。
また、城門が、菰野町小島の金蔵寺の山門として移築され現存している。
(2008/05/07登城して)

ギャラリー

土塁と堀跡
往時を僅かに偲ばせてくれるのは、小学校の北西の住宅の裏に堀の一部と土塁が残っているだけだ。

石碑と説明板
小学校の南側(近鉄の線路側)に築山が築かれ、その植込みの中に城址碑と説明板がある。

移築城門
菰野町小島の金蔵寺の山門として移築され現存している。確かに古いものではあるが、何ともチャチ(失礼!)。 尚、金蔵寺は同じ菰野町ではあるが、北へ9km以上離れている。

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