政庁前門跡の前にたつ「胆沢城跡」の碑
坂上田村麻呂により造営された蝦夷鎮撫の拠点
所在地
岩手県奥州市水沢区佐倉河
(旧)水沢市佐倉河八幡
形状
柵
現状・遺構等
現状:神社(鎮守府八幡宮)・水田・宅地他
遺構等:築地跡、建物跡、堀、溝、石碑、説明板
【国指定史跡】
指定日:大正11年10月12日
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2000年3月
2008/05/18
歴史等
坂上田村麻呂がアテルイ軍を押さえ込み、この地を平定するために約1200年前に造営した古代城。
造営後は、多賀城から鎮守府が移され、
奥羽鎮守の拠点として、10世紀後半まで機能しました。城の形式としては、1辺約670mの方形で、
周囲に土を固めて作った築地塀をめぐらせており、塀の内には儀式を執り行う政庁のほか、食料を供給する官衙などが建てられていました。
昭和29年から発掘調査が始められ、木簡や文字が記された土器のほか、具注暦や城に勤務した兵士についての漆紙文書などが発見されています。
『奥州市公式サイトホームページより』
現況・登城記・感想等
田んぼの真ん中のあぜ道のような所に、「胆沢城跡」の石碑があるだけで、遺構らしきものはほとんど無いに等しい感じである。
発掘した後、埋め戻したとのことである。すぐ近くに水沢市埋蔵文化財センター(TEL:0197-22-4400)があり、
胆沢城の紹介や当時の蝦夷と和人との歴史紹介等がされている。
(2000年冬見物後に)
8年ぶりに訪問した。前回の訪問時には、ただ一面に広がる水田と野原といった印象であった。だだっ広いという印象は同じだが、
かなり整備され綺麗になっていた。
復元想像図や政庁建物の区画図の載った説明板が設けられていた。また、土塁や土壇や溝で、正殿・門跡・
区画柱列跡等を示す案内板が設けられていた。これらの土塁や土壇等は果たして・・・?確か、埋め戻しているはずだよねえ!?
(2008/05/18訪れて)
ギャラリー
政庁想像復元絵図(現地説明板より)
㊧前回訪城時(2000年3月)、㊨今回訪城時(2008/05/18)
前回の訪問時には、ただ一面に広がる水田と野原といった印象であった。だだっ広いという印象は同じだが、
かなり整備され綺麗になっていた。㊧は全くの水田の中に石碑だけがポツンと。㊨の奥の方には南門と正殿跡の土壇がある。
南門跡
土塁や土壇や溝で、正殿・門跡・区画柱列跡等を示す案内板が設けられていた。
これらの土塁や土壇等は果たして・・・?確か、埋め戻しているはずだよねえ!?
正殿跡
正殿跡の土壇の片隅に木が組まれていたが、何か意味はあるのかな?
東区画柱列跡