羽前 鶴ヶ岡城(鶴岡市)

徳川四天王酒井忠次の孫忠勝が入城、酒井家250年間の居城

別名

大宝寺城、大梵寺城

所在地

山形県鶴岡市馬場町4-1鶴岡公園

形状

平城

現状・遺構

現状:鶴岡公園
遺構等:曲輪、土塁、石垣、水堀、石碑、説明板

満足度(10点満点)

5点

訪城日

2008/05/19

歴史等

鶴ヶ岡城は、古くは大宝寺城と呼ばれ、鎌倉期以来戦国期まで庄内に君臨した武藤氏の居城であった。
天文年間(1533年頃)兵火のため武藤氏は大山の尾浦城に居を移し、当城はその支城となった。
天正15年(1587)武藤氏が滅び庄内は上杉景勝、次いで慶長6年(1601)山形の最上義光の支配するところとなった。
慶長8年(1603)大宝寺城は、義光の隠居城として修復され鶴ヶ岡城と改称された。
元和8年(1622)、最上氏が改易となり、その後信州松代より酒井忠勝が入国し、庄内14万石(幕末17万石) の居城として整備拡充された。
酒井氏は徳川幕府の譜代大名として明治4年(1871)まで約250年間庄内を治めた。
この間庄内藩は、天保11年(1840)11月、突如幕府(老中水野忠邦)から、「庄内藩は長岡7万石へ、長岡は武蔵川越10万石へ、 川越は庄内藩に移封する」という「三方所替の大命」が発せられた。庄内藩にとって所領が実質3分の1に減じられるこの命は、 藩主や家臣にとっても、また酒井家の善政で過ごしてきた領民にとっても寝耳に水で、激しい阻止運動に発展し、ついに翌12年(1841) 7月、撤回された。老中水野忠邦は、その報復として印旛沼工事の国役を課し、庄内藩は困窮を極めた。
また、幕末の慶応3年(1867)12月、江戸市中取締りの際に、三田の薩摩屋敷を焼き討ちした罪を問われ、戊辰戦争では会津藩と共に、 新政府軍による奥州討伐の矢面に立たされ、慶応4年(1868)9月26日に降伏した。しかし、西郷隆盛の取り計らいで、 賠償金70万両の献金で事なきを得た。
明治2年(1869)には大泉藩と改称し、同4年に廃藩置県を迎え、明治8年(1875)城は解体された。
『「現地説明板」、「藩と城下町の事典(東京堂出版館)」参照』

現況・登城記・感想等

鶴ヶ岡城は、藤沢周平ファンにとっての聖地海坂藩の城であり、必見の城であろう。
そんな鶴ヶ岡城も、明治維新後に解体され、本丸と二の丸の土塁と水堀が残るだけで、今は鶴岡公園となり、市民の憩いの広場となっている。
水堀は北側と西側の外堀と本丸を巡る内堀がよく残り、往時を偲ばせてくれる。
土塁は解体され崩れたままに芝生が植えられたのであろうか?そのためかえって、うねりのある土塁となり、何とも優美な印象を与えてくれる。
本丸跡には、荘内神社が建っている。250年間に亘って善政を施いた藩主酒井家を慕って、明治10年に創建されたもので、酒井家の初代忠次、 2代家次、3代忠勝、9代忠徳を祭神としている。
本丸南東隅には大正天皇の即位式を記念して竣工されたという大宝館が建っているが、 そのエキゾチックな西洋建築が周りの光景の中で何とも奇妙な感じがする。
また、現在「藤沢周平記念館(仮称)」を建築中で、平成21年には開館の予定だそうだ。まさに、「鶴岡=海坂藩=藤沢周平」である。
藤沢周平といえば、翌日向かった丸岡城址の近くの小さな村で「藤沢周平生誕の地」を偶然見つけた。
(2008/05/19登城して)

ギャラリー

鶴岡城復元図(現地説明板より)  ~クリックにて拡大画面に~

【水堀】
水堀は北側と西側の外堀と本丸を巡る内堀がよく残り、往時を偲ばせてくれる。
(二の丸北側外堀)

(二の丸西側外堀)

(本丸西側内堀)

(本丸南側内堀)

(本丸北側内堀)
本丸北側の内堀にはあやめが咲き誇ってきれいだった。

【土塁】
土塁は解体され崩れたままに芝生が植えられたのであろうか?そのためかえって、うねりのある土塁となり、 何とも優美な印象を与えてくれる。
(二の丸北側土塁)  外北門付近

(二の丸西側土塁)

(本丸角櫓土塁) 西側二の丸から撮影

【石垣】
(二の丸西側の石垣)
二の丸西側に築山があり、石垣が組まれていたが、これは何らかの建物跡に後に石垣を組んだものであろうか?

(二の丸東側石垣)
明治維新後、解体した際、埋めた石を明治43年掘り起こして築きなおしたものだそうだ。

荘内神社
本丸跡には、荘内神社が建っている。250年間に亘って善政を施いた藩主酒井家を慕って、 明治10年に創建されたもので、酒井家の初代忠次、2代家次、3代忠勝、9代忠徳を祭神としている。

大宝館
本丸南東隅には大正天皇の即位式を記念して竣工されたという大宝館が建っているが、 そのエキゾチックな西洋建築が周りの光景の中で何とも奇妙な感じがする。今は、図書館や資料館となっているようだ。

藤沢周平記念館(仮称)想像図  ~現地工事現場写真より~
現在「藤沢周平記念館(仮称)」を建築中で、平成21年には開館の予定だそうだ。

藤岡周平生誕の地
翌日向かった丸岡城址の近くの小さな村で「藤沢周平生誕の地」を偶然見つけた。
 

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