羽後 湯沢城(湯沢市)

中央公園(城の北側)からの登城口に移築された佐竹南家の門

小野寺氏稲庭城の支城、江戸期には佐竹南家が居城も一国一城令にて廃城

所在地

秋田県湯沢市古館山(中央公園の裏山:古館山)
中央公園に広い駐車場があります。

所要時間

山麓の佐竹南家門から二の丸経由で本丸まで約40分、今回の総見学時間は1時間20分弱でした。

形状

山城(標高222m、比高120m)

現状・遺構等

【現状】山林
【遺構等】佐竹南家城門、曲輪、土塁、空堀、石碑、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/05/19

歴史等

湯沢城は鎌倉時代の後期、小野寺氏により稲庭城の支城として築かれたと伝えられる。
小野寺氏は、下野(栃木県)都賀郡小野寺郷の出身で、源頼朝の奥州征伐に従軍した軍功により、雄勝郡の出羽守護に任命された。何代か後の小野寺経道から出羽に下り、出羽小野寺氏の租となった。
小野寺氏は次第に力を蓄えていき、最盛期の城館は仙北・平鹿・雄勝・由利・山形までおよび、その数470と伝えられる。
湯沢城は、小野寺氏がのちに戦国大名として成長する過程で重要な役割を果たすが、文禄4年(1595)城主小野寺孫七郎のとき、最上勢の侵攻により落城し、以後楯岡満重が城主となる。
慶長7年(1602)佐竹義宣の常陸から秋田への転封に伴い、佐竹南家3代義種が城代となり整備を重ねたが、元和元年(1615)の一国一城令により、元和6年(1620)に破却された。
『「現地説明板」、「稲庭城(今昔館)展示資料、パンフレット」より』

現況・登城記・感想等

湯沢城は山頂部に本丸を置き、南東尾根筋に連郭式に五社壇・馬場を、北西に馬屋・見張台と呼ばれる曲輪を配置し、更に見張台から北東尾根には大堀切を隔てて二の丸を置いた連郭式山城です。
湯沢市中央公園の裏山が湯沢城址です。
大手口は公園から4~500mほど南側の清涼寺(佐竹南家の菩提寺)の近くにあり、七曲りといわれる九十九折れの坂道を登って本丸の北側の馬屋跡に到着するようですが、今回は公園から登城しました。
中央公園の駐車場から登り始めると、すぐ昭和55年(1980)に現在地に移築された「佐竹南家の門」へと出ます。
門を潜って登城開始すると、城址は遊歩道が整備されていますが、植物の元気な5月で、道の両側の多くがほとんど藪でした。藪というより、植物の名前は分かりませんが、北海道の原生花園でよく見かけたような植物で覆われていたと言う方が正解かもしれません。
また、本丸と二の丸跡は大変な藪で、そこで一休みというわけにはいきませんでした。
本丸奥の奥には「五社壇」がありますが、天照大神・春日神・八幡神・稲荷神・宮綱神の五社を祀って城主が祈願した場所だそうです。
湯沢城跡は、どの曲輪からも眺望は決して良くありませんが、さすがに見張台跡から眼下に見下ろす湯沢の街並みの眺望だけは素晴らしいです。
他に、遺構としては堀切や堀底道のような細小路があったりしますが、遺構の多くはかなり埋ってしまっているようなのと藪のため確認しづらくてよく分かりませんでした(;>_<;)。
(2008/05/19登城して)

ギャラリー

湯沢城址(古館山)散策路案内図
湯沢城は山頂部に本丸を置き、南東尾根筋に連郭式に五社壇・馬場を、北西に馬屋・見張台と呼ばれる曲輪を配置し、更に見張台から北東尾根には大堀切を隔てて二の丸を置いた連郭式山城です。
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山麓の中央公園駐車場から湯沢城跡を見上げる
中央公園の裏山が湯沢城址です。
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佐竹南家門
公園駐車場から登り始めると、すぐ「佐竹南家の門」へと出ます。この門は昭和55(1980)年に現在地に移築されました。門を潜って登城開始である。
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遊歩道(登城道)
門を潜って登城開始すると、城址は遊歩道が整備されていますが、植物の元気な5月で、道の両側の多くがほとんど藪でした。藪というより、植物の名前は分かりませんが、北海道の原生花園でよく見かけたような植物(誰か御存知の方がいらっしゃったら教えて下さい)で覆われていたと言う方が正解かもしれません。
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道の両側を覆う植物
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本丸跡と二の丸跡への分岐点
登り始めて15分ほどで、この二の丸と本丸への分岐点へと出る。尤も分岐点とは言っても写真のすぐ奥が二の丸です。
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二の丸跡へ登る
まずは二の丸跡へ登って行きました。二の丸へは堀切に架かる土橋らしい狭い道を登って行きます。二の丸虎口は草で覆われていますが何とか確認できます。
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二の丸上
二の丸は草茫々で、マムシの恐れも考えるとちょっと中へ入って行く勇気はありませんでした。
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大堀切
二の丸跡を見てから元来た道を戻り、先程の分岐点を本丸へと向かうと北東尾根を断ち切る大堀切が現れます。大堀切は細小路でもあり、堀底道を東(写真奥)へ向かうと裏門へ、東(写真右)へ向かうと見張台跡や本丸跡へと向かいます。
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本丸を
本丸へ向かうと本丸跡が見えて来ます。草茫々ですが本丸の形はよく分かります。
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馬洗場?
本丸へ向かう途中に水溜まりがありましたが、案内板にある「馬洗場」でしょうかねえ?
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本丸
二の丸ほどではありませんが、本丸も草茫々ですが、帯屋久太郎の歌碑と標柱のこの辺りだけは多少草が短くなっていました。
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本丸から五社壇を
本丸の奥(南側)にも曲輪を発見しました。五社壇という名の曲輪で、天照大神・春日神・八幡神・稲荷神・宮綱神の5社を祀って城主が祈願した場所だそうです。
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五社壇
大き目の石がが2~3個ほど転がっていましたが、何でしょうねえ?
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馬場跡
五社壇の奥(南側)には馬場跡がありますが、山城の馬場としてはかなり長くて広い馬場です。
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見張り台跡と眺望
湯沢城跡は、どの曲輪からも眺望は決して良くありませんが、さすがに見張台跡から眼下に見下ろす湯沢の街並みの眺望だけは素晴らしいです。ただ、残念ながら曇勝ちの天候で霞んでいました。
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