羽後 湯沢城(湯沢市)

中央公園(城の北側)からの登城口に移築された佐竹南家の門

小野寺氏稲庭城の支城、江戸期には佐竹南家が居城も一国一城令にて廃城

所在地

秋田県湯沢市古館山(中央公園の裏山:古館山)

形状

山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:佐竹南家城門、曲輪、土塁、空堀、石碑、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/05/19

歴史等

湯沢城は鎌倉時代の後期、小野寺氏により稲庭城の支城として築かれたと伝えられる。
小野寺氏は、下野(栃木県)都賀郡小野寺郷の出身で、源頼朝の奥州征伐に従軍した軍功により、雄勝郡の出羽守護に任命された。何代か後の小野寺経道から出羽に下り、出羽小野寺氏の租となった。
小野寺氏は次第に力を蓄えていき、最盛期の城館は仙北・平鹿・雄勝・由利・山形までおよび、その数470と伝えられる。
湯沢城は、小野寺氏がのちに戦国大名として成長する過程で重要な役割を果たすが、文禄4年(1595)城主小野寺孫七郎のとき、最上勢の侵攻により落城し、以後楯岡満重が城主となる。
慶長7年(1602)佐竹義宣の常陸から秋田への転封に伴い、佐竹南家3代義種が城代となり整備を重ねたが、元和元年(1615)の一国一城令により、元和6年(1620)に破却された。
『「現地説明板」、「稲庭城(今昔館)展示資料、パンフレット」より』

現況・登城記・感想等

湯沢市の中央公園の裏山が湯沢城址である。
公園から登り始めると、すぐ「佐竹南家の門」へと出る。その門を潜って登城開始である。城址へは遊歩道が整備されてはいるが、道の両側はほとんど藪であった。藪というより、植物の名前は分からないが、北海道の原生花園でよく見かけた植物で覆われていたと言う方が正解かもしれない。
本丸へは、二の丸経由で20分ほどで到着する。また、本丸と二の丸は草茫々で、そこで一休みというわけにはいかない。
本丸奥の一段高い所は、「五社壇」で、五社を祀って城主が祈願した場所だそうだ。
どの曲輪からも眺望は決して良くないが、見張台跡から湯沢の街並みを眼下に見下ろす眺望は素晴らしい。
他に、遺構としては堀切や堀底道のような細小路があったりするが、かなり埋ってしまっているのが多く、確認はしづらい。
(2008/05/19登城して)

ギャラリー

湯沢城址(古館山)散策路案内図

佐竹南家門
公園から登り始めると、すぐ「佐竹南家の門」へと出る。この門は、昭和55(1980)年に現在地に移築された。門を潜って登城開始である。

遊歩道(登城道)
城址へは遊歩道が整備されてはいるが、道の両側はほとんど藪であった。藪というより、植物の名前は分からない(誰か御存知の方がいらっしゃったら教えて下さい)が、北海道の原生花園でよく見かけた植物で覆われていたと言う方が正解かもしれない。尚、この写真は二の丸から本丸への途中の道で撮影したものである。

二の丸へ
登り始めて、10分ほどでこの二の丸と本丸への分岐点へと出る。尤も分岐点とは言っても、㊧写真のすぐ奥が二の丸である。㊨写真のすぐ上が二の丸である。

二の丸
二の丸はまさに草茫々で、マムシの恐れも考えるとちょっと中へ入って行く勇気はなかった。

㊧細小路、㊨分岐点案内板
二の丸から本丸への途中、この分岐点へと出る。㊧は細小路で堀底道のようになっている。下写真の堀切の奥が裏門への道であり、同様の道が続いているようだ。

大堀切
写真奥へ行くと裏門で手前の細小路へと繋がっている。右へ進むと本丸方面。

本丸を下から撮影
草茫々ではあるが、本丸の形がよく分かる。

本丸
二の丸ほどではないが、本丸も草茫々。帯屋久太郎の歌碑と標柱のこの辺りだけ多少草が短い。

本丸から五社壇を
本丸の奥に一段高い曲輪を発見。五社壇という名の曲輪で、社を祀って城主が祈願した場所だそうだ。

五社壇
大き目の石がが2~3個ほど転がっていたが、何なんだろう?

馬場跡
山城の馬場としてはかなり長くて広い馬場だ。

見張り台から
どの曲輪からも眺望は決して良くないが、見張台跡から湯沢の街並みを眼下に見下ろす眺望は素晴らしい。残念ながら、曇勝ちの天候で霞んでいた。

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