平面表示された政庁跡を見下ろす
志波城の度重なる水害の為、遷し代えられた律令制度最後の城柵
所在地
岩手県紫波郡矢巾町西徳田、史跡公園
【アクセス】
徳丹城跡は国道4号線が縦断して、内郭跡(政庁跡)は国道4号線の東側にある町立徳田小学校の南に隣接する公園になっている。公園には駐車場がないので、 国道西側にある矢巾町歴史民俗資料館の駐車場に停めた。
町立徳田小学校:岩手県紫波郡矢巾町西徳田6-53、TEL019-697-3138
矢巾町歴史民俗資料館:TEL019-697-3704
形状
柵
現状・遺構等
【現状】史跡公園
【遺構等】門・掘立柱建物等の平面表示、外郭基壇、溝(堀)、建物礎石、碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2008/05/18
歴史等
徳丹城(とくたんじょう、とくたんのき)は、弘仁3年(812)の3月頃、時の征夷将軍・文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造られた律令制度最後の城柵である。
遺跡の中心部には、正殿や東・西の脇殿が配置された政庁があり、役所の中枢としての格式を保っている。
志波城が雫石川の度重なる水害によって、その機能を果たせなくなり、志波城に代わって造られた。 志波城を解体し、遷し建てられ、造営工事には2千人もの鎮兵が動員された。
外郭・内郭という基本的な構造は変わらないが、規模は外郭が一辺約350m(志波城は約900m)、内郭が一辺約80m(志波城は約150m)と大幅に縮小された。
また、外郭等の構造も、築地塀から柵木列へと簡略な造りに変更されている。
9世紀の中頃に至って、徳丹城は衰退したと考えられている。
『現地説明板2箇所より』
現況・登城記・感想等
徳丹城跡は、国道4号線が縦断していて、その東側にある町立徳田小学校の南に隣接する内郭跡(政庁跡)は南側半分が公園化し、正殿をはじめ建物跡が平面表示されている。
一方、国道4号線の西側には、外郭の基壇に柵木が立て並べられ、その両側の溝(空堀)が残っており、また、建物の礎石が幾つか確認できる。
同じ古代城柵の志波城や多賀城、或いは胆沢城などと較べると、かなり狭いとはいえ、真っ平な所に建物跡や門跡を示す平面表示などだけがある光景は何やらよく分からなくて往時の様子が想像できないが、丁度良い場所に国道4号線を渡るための歩道橋があったので、その上から「内郭跡」を見下ろすことができたので、比較的分かりやすくてラッキーでした(*^_^*)。
(2008/05/18登城して)
ギャラリー
徳丹城跡内郭と西外郭の図
徳丹城跡は、国道4号線が縦断していて、その東側にある町立徳田小学校の南に隣接する内郭跡(政庁跡)は南側半分が公園化し、国道4号線の西側には外郭の基壇と溝(空堀)が確認できる。
政庁(内郭)平面図
内郭跡(政庁跡)は南側半分が公園化し、正殿をはじめ建物跡が平面表示されている。
徳丹城跡とその向こう(写真奥)に徳田小学校
紫波町から国道4号線北上し、矢巾町に入ると右手(東側)に徳丹城跡史跡公園が見えてくる。
平面表示された政庁跡(国道4号線歩道橋上にて撮影)
真っ平な所に建物跡や門跡を示す平面表示などだけがある光景は何やらよく分からなくて往時の様子が想像できないが、丁度良い場所に国道4号線を渡るための歩道橋があったので、その上から「内郭跡」を見下ろすことができたので、比較的分かりやすくてラッキーでした(*^_^*)。
外郭の基壇と溝(堀)
国道4号線の西側には、外郭の基壇に柵木が立て並べられ、その両側の溝(空堀)が残っており、また、建物の礎石が幾つか確認できる。