陸中 花巻城(花巻市)

復元された西御門

伊達藩境に近い要衝として伊達氏を見据える南部藩の支城

別名

鳥谷ケ崎城(とやがさきじょう)

所在地

岩手県花巻市城内、鳥谷ケ崎公園一帯(イトーヨーカドー花巻店の南側)
イトーヨーカドー花巻店:下小舟渡118-1、TEL0198-23-7200

形状

平山城

現状・遺構等

現状:市街地(鳥谷ケ崎公園、花巻小学校ほか)
遺構等:円城寺門、時鐘堂、西御門(復元)、曲輪、土塁、堀、井戸、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2008/05/18

歴史等

花巻城は、10世紀の頃、鳥谷ケ崎城(とやがさきじょう)と称して、安倍氏の居城であったと言われている。即ち、康平5年(1062) 「前九年の役」で安倍貞任が北(厨川柵)へ逃れる途中に「鶴脛柵」があったと記録されており、一説では、この「鶴脛柵」は稗貫郡にあり、 後の「鳥谷ケ崎城」であったのではないかと考えられているとのことである。
中世に入り、稗貫氏がこの地方を領し、永禄年間(16世紀後半)鳥谷ケ崎城に本拠を移した。
天正18年(1590)、稗貫氏は豊臣秀吉の小田原攻めに加わらなかったため、領地を没収され稗貫氏は滅亡した。
翌19年(1591)この地方は南部氏の一族である北秀愛(ひでちか)が稗貫・和賀2郡の8千石の城代となり、 鳥谷ケ崎城から花巻城に改めた。
慶長3年(1598)、秀愛が死去し、かわって父の北信愛(後の松斎)が城代となった。
その翌々年の慶長5年(1600)9月、関が原の役に際して、南部氏が山形へ出陣している隙を狙い、旧領主和賀氏、稗貫氏の残党が、 伊達政宗の援助で蜂起する「花巻城夜討ち」が勃発し、一揆軍が御台所前御門まで押し寄せ、落城寸前までいったが、 松斎は少しの兵力でよくこれを防いだ。
その後、慶長19年(1614)南部利直の庶子南部政直が稗貫・和賀2万石の花巻城主となったが、故あって寛永元年(1624) に非業の死を遂げ、以降は藩士が交代で城代となり花巻城を治めた。
花巻城は、地形に恵まれた要塞堅固な城であり、明治元年(1868)に開城となるまで、伊達藩境にほど近い要衝として南部藩の拠点となった。
『現地説明板2箇所より』

現況・登城記・感想等

当初、花巻城がこんなに広く、しかもこんなに遺構が残っているとは思ってもいなかった。花巻市街地の真中にある高台全域が花巻城址だ。 大変失礼しました。
でっかい「イトーヨーカドー花巻店」の南側にある鳥谷ケ崎公園方面の高台上が花巻城跡である。イトーヨーカドーの南側から堀でもあった後川 (うしろがわ)越し真上が本丸跡で、復元された西御門が聳えている。復元とは言いながら、高台上に見える城門は実に絵になる。
本丸は東西に非常に細長い曲輪で、周囲を土塁が巡っていたようで、今も西側から南側にかけての土塁が良好に残っている。 北側と東側は急崖になっており、降りて行くことは出来ない。
西御門は北西部に復元されている。南側土塁手前に井戸跡が、また東端には菱櫓があったようだ。
西御門の北側(本丸北西隅)に珍しいものを見つけた。初代二所関の墓碑である。南部侯のお抱えの力士で、最高位の大関にまでなり、 二所関初代年寄になったそうだ。それにしても素晴らしい場所に建ててもらったものだ。
本丸中央南側には、「花巻城夜討ち」の時に、一揆軍が押し寄せ、落城寸前までいったという、御台所前御門の虎口があり、そこから出て行くと、 両側に堀が残っている。西側が鐘搗堂前御堀であ、東側が御囲穀御蔵前御堀である。
本丸から3~400mほど南東(近道はないようで、歩くにはかなりの時間を要するようだ。私は車で移動した。) にある鳥谷崎神社の南側には円城寺門が現存している。円城寺門は二子城から引き上げてきたものだそうだが、 とても戦国時代の城のものとは思えないほど立派な門である。
他にも、土塁や堀、武家屋敷等々見所が一杯あるようだ。
(2008/05/18登城して)

ギャラリー

花巻城址案内図(現地説明板より)       ~クリックにて拡大画面に~
花巻城がこんなに広く、しかもこんなに遺構が残っているとは思ってもいなかった。 花巻市街地の真中にある高台全域が花巻城址だ。


後川越しに西御門を仰ぐ
イトーヨーカドーの南側から堀でもあった後川越し真上が本丸跡で、復元された西御門が聳えている。 復元とは言いながら、高台上に見える城門は実に絵になる。

後川と鳥谷ケ崎公園
写真奥が鳥谷ケ崎公園で堀(後川)の両側に遊歩道がある。写真右上が本丸跡で、比高差は10mほどであるが、 この急崖がずっと奥へと続く光景は結構かっこいい。

西御門(復元)

本丸(東から撮影)
本丸は東西に非常に細長い曲輪で、周囲を土塁が巡っていたようだ。北側と東側は急崖になっており、 降りて行くことは出来ない。西御門は北西部に復元されている。

本丸西側から南側にかけての土塁
西側から南側にかけての土塁は良好に残っている。

㊧井戸、㊨菱櫓跡
本丸南側土塁手前に井戸跡が、また本丸東端には菱櫓があったようだ。
 

初代二所関の墓碑
西御門の北側(本丸北西隅)に珍しいものを見つけた。初代二所関の墓碑である。南部侯のお抱えの力士で、 最高位の大関にまでなり、二所関初代年寄になったそうだ。それにしても素晴らしい場所に建ててもらったものだ。

御台所前御門跡
本丸中央南側には、「花巻城夜討ち」の時に、一揆軍が押し寄せ、落城寸前までいったという、 御台所前御門の虎口が
 

㊧鐘搗堂前御堀、㊨御囲穀御蔵前御堀
御台所前御門跡の虎口から出て行くと、両側に堀が残っている。西側が鐘搗堂前御堀で、 東側が御囲穀御蔵前御堀である。御囲穀御蔵前御堀には水がないが、形状から見て往時は水堀だっただろう。
 

円城寺門
本丸から3~400mほど南東(近道はないようで、歩くにはかなりの時間を要するようだ。私は車で移動した。 )にある鳥谷崎神社の南側には円城寺門が現存している。円城寺門は、慶長19年(1614)に二子城の追手門を引き上げて花巻城の搦手円城寺坂に建てたものだそうだが、 とても戦国時代の城のものとは思えないほど立派な門である。

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