伊勢 保々西城(四日市市)

主郭虎口への土橋

越前朝倉氏一族の朝倉氏の居城、同族に茂福氏一属がある

別名

保々西村城

所在地

三重県四日市市字城下・谷口(保々の里山公園)
北勢中央公園の南にある森

形状

平城

現状・遺構等

現状:山林(保々の里山公園)
遺構等:曲輪、土塁、空堀、井戸、土橋、石柱、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2008/05/07

歴史等

保々西城(ほぼにしじょう)は、康正年間(1455~57)、朝倉氏により築城された。
朝倉氏は平維盛の子孫で、同族に茂福城の茂福氏一属がある。 また、東方1.8kmのところに支城・市塲城がある。
永禄11年(1568)、織田信長の北伊勢侵攻の際、滝川一益の攻撃を受け茂福城等と共に落城し、 滅亡した。
『「現地説明板」、「茂福城址説明板」 等参照』

現況・登城記・感想等

北勢中央公園の南にある森が保々西城(ほぼにしじょう)跡で、里山公園となっている。
四日市出身の私であるが、北勢中央公園の存在は全く知らなかった。最近、造成されたのであろう。余計なお世話かもしれないが、非常に広くて、 よく整備された、あまりにも立派な公園であるが、こんな郊外で果たして利用する人がどれだけいるのか?また採算は取れるのか?疑問!!??
これだけ立派な公園のすぐ南であるから、保々西城は里山公園となってはいるが、当然訪れる人はほとんどいないようで、 やたらと蜘蛛の巣がまとわりついたり、薮蚊に悩まされた。
城跡は非常に荒れ果てた感じではあったが、遺構は良好に残り素晴らしかった。中でも主郭北側虎口辺りの、深い堀と高い土塁は見応え充分で、 そこに架かる土橋とのコラボレーションは実に絵になる。
しかし、主郭内は、あまりの藪で、とても入って行ける状態ではなかった。
屋敷跡など他にも見所はあるようだったが、あまりの藪と薮蚊のため、これで退散した。
「ここは、冬に再登城すべきだ!印象も大きく変わるだろうな。」というわけで、今回は満足度5点に抑える(そんなこと関係ない!?)。
(2008/05/07登城して)

ギャラリー

保々西城の図

城址全景
北勢中央公園の南にある森が保々西城(ほぼにしじょう)跡で、里山公園となっている。写真右に丸岡古墳、 さらに右方面に北勢中央公園がある。

登城
城址は、里山公園となって整備されているようではあるが、訪れる人はほとんどいないようで、 やたらと蜘蛛の巣がまとわりついたり、薮蚊に悩まされた。

主郭と屋敷の分岐点
空堀のような谷間の道を公園奥へと進んで行くと、この分岐へと出る。左は主郭、右は屋敷。

㊧主郭東側の堀外側の土塁と㊨堀
分岐から主郭へ進むと左側に、木々が鬱蒼と生茂ってはいるが、明瞭に分かる深い堀が現れる。その堀の外側に、 コブのような土塁が5つほど並んでいたが、それが何なのかは分からなかった。
 

主郭への土橋と虎口
主郭北側虎口辺りの、深い堀と高い土塁は見応え充分で、 そこに架かる土橋とのコラボレーションは実に絵になる。

土橋東側の堀

土橋西側の堀

主郭
土橋を渡り、主郭内へ入って行ったが、あまりの藪で、とても入って行ける状態ではなかった。

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