志波城の度重なる水害の為、遷し代えられた律令制度最後の城柵
所在地
岩手県紫波郡矢巾町西徳田、史跡公園
形状
柵
現状・遺構
現状:史跡公園
遺構等:門・掘立柱建物等の平面表示、碑、説明板
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2008/05/18
歴史等
徳丹城は、弘仁3年(812)の3月頃、時の征夷将軍・文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造られた律令制度最後の城柵である。
遺跡の中心部には、正殿や東・西の脇殿が配置された政庁があり、役所の中枢としての格式を保っている。
志波城が雫石川の度重なる水害によって、その機能を果たせなくなり、志波城に代わって造られた。志波城を解体し、遷し建てられ、
造営工事には2千人もの鎮兵が動員された。
外郭・内郭という基本的な構造は変わらないが、規模は外郭が一辺約350m(志波城は約900m)、内郭が一辺約80m
(志波城は約150m)と大幅に縮小された。
また、外郭等の構造も、築地塀から柵木列へと簡略な造りに変更されている。
9世紀の中頃に至って、徳丹城は衰退したと考えられている。
『現地説明板2箇所より』
現況・登城記・感想等
史跡は、町立徳田小学校の南に隣接し、国道4号線が縦断していて、場所はすぐ分かる。政庁跡は国道の東側にあるが、駐車場がないので、
私は国道西側にある矢巾町歴史民俗資料館(TEL019-697-3704)の駐車場に停めた。
志波城や多賀城、或いは胆沢城などと較べると、かなり狭いとはいえ、真っ平で広大な所に、建物跡や門跡を示す平面表示だけがある光景は、
私には、どうも何が何やらよく分からないというのが正直な感想だ。
(2008/05/18登城して)
ギャラリー
政庁平面図
平面表示された政庁跡
西門跡(手前)と正殿跡(奥)