秋田県南部を支配した小野寺氏の本拠の城
所在地
秋田県湯沢市稲庭町字古館前平50(稲庭城:今昔館)
今昔館:電話0183-43-2929
形状
山城
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、模擬天守(今昔館)、石碑、標柱
満足度(10点満点)
4点
訪城日
2008/05/19
歴史等
稲庭城は、中世(鎌倉時代~室町時代後期)に県南を支配した小野寺氏の本拠であり、鎌倉時代初期、小野寺重道が築城したと伝えられる。
小野寺氏は、下野(栃木県)都賀郡小野寺郷の出身で、源頼朝の奥州征伐に従軍した軍功により、雄勝郡の出羽守護に任命された。
何代か後の小野寺経道から出羽に下り、出羽小野寺氏の租となった。
小野寺氏は次第に力を蓄えていき、最盛期の城館は仙北・平鹿・雄勝・由利・山形までおよび、その数470と伝えられる。旧稲川町には、
本拠の稲庭城をはじめ、三又城、大館、八幡館、牛形城、
三梨城、
川連城、新城館などがあり、一村一城館で治めていた。
その後、領地が拡大したため隣り合う領主との戦いを繰り返し、次第に勢力は弱くなり、慶長5年(1600)最上義光の攻撃を受けて敗退、
さらに関ヶ原合戦で上杉氏に味方をしたという疑いによって改易となり、慶長6年(1601)石見国津和野城へお預けの身となった。
『稲庭城(今昔館)展示資料、パンフレットより』
現況・登城記・感想等
稲庭城は、標高704mの大森山の西側尾根を削って平らにし、本丸・二の丸・曲曲輪・堀切などで構成された典型的な中世山城である。
国道398号沿いの山の頂上が二の丸跡であり、そこに三層の模擬天守(今昔館)が聳えている。
二の丸跡へは歩いて登る登城道(古城道)もあるが、今回は時間の関係もありスロープカーで登った。
スロープカーは大変な急崖を登って行き、この城が要害堅固な地にあったことがよく分かる。
二の丸の南東には見張台跡がある。これほどの山であるから、当然、模擬天守からの眺望は実に素晴らしい。
二の丸の東側に聳える山が本丸で、見上げた感じでは、二の丸との比高差は60~70mくらいであろうか?また、
二の丸と本丸がこんなに離れている山城も珍しいのではないだろうか?
今昔館の方の話によると、墜落する人が結構いるので、登るのはなるべく止めてもらっているとのことであった。
そんな山道には見えないけどなあ!?
二の丸から東南方向へ行くコンクリートの道と橋があり、橋を渡ったあたりに本丸への登城口があった。15分もあれば登れるだろう。しかし、
往復の時間を考えると、ちょっと時間が・・・!。迷った末、結局諦めた。いつか、登ってみたいと思うような山容であった。
また、橋の下には、堀切とそれから山裾へと続く竪堀が確認できた。
(2008/05/19登城して)
ギャラリー
登城道(古城道)
国道398号線沿い、スロープカー乗り場より北100mほどの所にある本来の登城道である「稲庭古城道」
入口。ここから登る人は、あまりいないのか道には草が結構のびていた。
㊧スロープカー乗り場、㊨スロープカー
今回は、時間の関係もありスロープカーで登った。
模擬天守(今昔館)
スロープカーは大変な急崖(最大勾配33度)を登って行き、この城が要害堅固な地にあったことがよく分かる。
約5分ほどで到着する。
模擬天守上からの眺望(北方面)
模擬天守上からの眺望(南西方面)
二の丸跡の見張台跡と夫婦松(天守上から撮影)
左の土塁についての説明板等は無かった。今昔館の方の話によると、「見張り台は古城道の途中にあり、
これは違うが、何かは知らない。この二の丸は模擬天守を建てるに当って、かなり改変している。」とのことであったが、場所的にも、
生えている松の古さからいっても、明らかに見張り台か、何らかの櫓跡だと思う。また、右側の夫婦松は、最上勢に攻められ落城し、
退去する時に、小野寺道勝が奥方の身代わりに植えたと伝わる松で、この松は2代目とのことである。
本丸
二の丸の東側に聳える山が本丸で、見上げた感じでは、二の丸との比高差は60~70mくらいであろうか?
二の丸と本丸がこんなに離れている山城も珍しいのではないだろうか?
本丸への登城口
二の丸から東南方向へ行くコンクリートの道(2つ上写真の左側)と橋があり、
橋を渡ったあたりに本丸への登城口(写真中央)があった。15分もあれば登れるだろう。しかし、往復の時間を考えると、ちょっと時間が・・・
!。迷った末、結局諦めた。
堀切から続く竪堀
橋の下には、堀切とそれから山裾へと続く竪堀が確認できた。竪堀の写真はただでさえ難しいのに、
草木に邪魔され、写真では尚更分かりづらい。
稲庭城模擬天守遠景
城下の西を流れる皆瀬川のさらに西へ行って遠景を撮ったが、あいにくの雨混じりの曇り空で、
霞んでしまっている。それでも、模擬天守とはいえ、山頂に建つ天守閣というのは絵になるものだ。