七葉中学校グラウンド南東隅の土塁
柳沢吉保の5男時睦が構えた陣屋
所在地
新発田市上館乙、七葉中学校
七葉中学校:電話 0254-22-3524
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:七葉中学校
遺構等:土塁?
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2009/05/24
歴史等
5代将軍綱吉の側近として権勢をふるった柳沢吉保の5男時睦(ときちか)は、父吉保の封地甲斐国で新田1万石を分与されたが、
享保9年(1724)宗家の甲府藩主柳沢吉里が大和郡山へ転封するのに伴い、
大和・河内・近江・伊勢に領地替えとなり、越後蒲原郡内に封地をあてがわれ、蒲原郡三日市に陣屋を構えて立藩し、明治まで続いた。
領地は39ケ村で、南側は加川を隔てて新発田藩領に接し、
陣屋は新発田城へ僅か3km程のところにあった。
藩財政は極めてきびしく、元文元年(1736)、年貢米先納が領民に課せられ、豪農の援助をあてに、豪農を藩士に取り立てた。
戊辰戦争では、新発田藩とともに新政府軍にくみし、
米沢・会津へ進撃した。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文芸春秋刊)」参照』
現況・登城記・感想等
七葉中学校が陣屋跡とのことであるが、形跡はなく、碑とか説明板さえもない。
ただ、中学校グラウンドの南東隅に土塁跡らしきものを見つけたが、これさえも遺構かどうかは疑わしい!?
(2009/05/24訪れて)